ポルトガル便り・9便 ポルトガルでの音楽の楽しみ・ その 2
もう一つの流れである非商業的(無料の)音楽会とはどんな内容なのかをお話しましょう。
その第一はカスカイス市が主催する音楽会です。これは主に市の文化センターの中にある小ホールで開かれます。ゆったりとした椅子席が階段式になっていて約150席。音の響きも良く音楽を楽しむにはとても良い環境です。舞台は小さく専ら室内楽やソロが演奏され私達を楽しませてくれます。無料の音楽会というと演奏家の水準はどうかと思うところですが、これが仲々素晴らしい演奏です。世に有名な超一流のアーテイストが来るわけではないのですが、主に若手の人達・新進気鋭の演奏家を色々な国から呼んでくる事で、素晴らしい音楽を聞かせてくれます。カスカイス市の企画としては3ヶ月ぐらいの単位でシリーズを作り、その間は月に6−8回もの無料のコンサートを提供してくれています。その一例として又私の印象記から一つをご紹介しましょう。
時: 2003年1月18日・於カスカイス文化センター
曲目: ストラビンスキー:ピアノ・バイオリン・クラリネットのための三重奏曲
ショスタコービッチ:ピアノ三重奏曲 op.67
メシアン:ピアノ・バイオリン・チェロとクラリネットのための四重奏曲
演奏者:
バイオリン:ダニエル・ローランド (Daniel Rowland)
1972年ロンドンに生まれオランダで育った。アムステルダム音楽院に
学び、その後イゴール・オイストラッフやルッジェーロ・リッチなどに師事
した。現在はグルベンキャン交響楽団の主席コンサートマスター
チェロ: グエンリク・エレシン (Guenrikh Elessine)
ロシア育ち
クラリネット:エスタ・ジョージ (Esther Georgie)
1962年ミシガンで生まれ、ロンドンのロイアル音楽院で学ぶ。グルベンキャン交響楽団の主席奏者・女性
ピアノ: ピント・リベイロ (Filipe Pinto-Ribeiro)
1975年生まれのポルトガル人・主にロシアで音楽教育を受けている。
感想:
現代音楽の中ではクラシックとも言える作曲家達の作品なので、僕達の耳にも左程抵抗感も無くまた古典のような窮屈な感じもしなかった。若い人達が彼らの感性で自由に弾いた音楽を、又私達も自由勝手に聴いたなという感じ。子供の時にこのような曲に親しんでいれば、音楽に対する感性も自ずと変わってくるのだろう。芸術が同時代ではなく、次の時代の人達に受け入れられるというのはそういう事なのかもしれないと思った。
第一バイオリンのダニエル・ローランドも柔らかい音で自由な音楽を作ってくれ、とても良い。ただ彼の最高音あたりの音楽はどうも好きになれない。音色がぎしぎしするし、ピッチがやゝ低めなのではないか。クラリネットが素晴らしい。自由闊達で音楽の楽しさをあらためて教えてくれた。 カスカイス市主催の音楽会としてはもう一つこんな夕べも有りました。
時:2002年12月1日
所:ホテル・パラシオ大広間
このホテルはリゾート地エストリルにある五つ星のホテルで、よき時代の欧州を感じさせる落ち着いてシックな雰囲気があります。第二次大戦の時にポルトガルは中立を保ったので、映画“カサブランカ”でもモロッコから沢山の人がポルトガルへ向けて脱出するシーンがありましたね。歴史上このホテルが実際にその受け入れ場所となったのだそうです。恐らくポルトガルの上流階級の方々が着飾って集まったのでしょう。豪華な雰囲気の一夜でした。
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ホテルパラシオ |
演奏者:ピアノ: パウロ・バドラスコダ(Paulo Badra-Skoda)
オーケストラ: カスカイス・エストリル市民交響楽団
指揮: ニコライ・ラロフ(Nikolay Lalov)
曲目: モーツァルト・ピアノ協奏曲K-419 ほか
感想:
バドラ・スコダは1927年の生まれと紹介されていたから75歳なのだが、若いモーツァルトの感性が伝わって来るような演奏ではなく、レコードで親しんだあの憧れのビッグネームも年には勝てないのだと悲しさを感じさせられる夜だった。ミスタッチはともかくとして、あんなにもがんがんと弾かれてしまっては、伸び伸びとしなやかなモーツァルトの音楽が可哀想だ。年をとると子供に帰るとも言うが、柔らかな感性は失ってしまうものなのだろうか。しかし市民オーケストラの若い人達にとっては、一時代を風靡した偉大な巨匠との公演というのはさぞかし良い経験になった事だろう。
一方教会での演奏会も盛んです。芸術性が高いというよりは宗教的な雰囲気の中で音楽に浸るという事となり、私のような人間にとっては新しい体験でとても新鮮に感じます。欧州でどのようにして音楽が引き継がれて来たのかを知る、一つの良い場を提供してくれます。既に第4便でご紹介した事ですが世界遺産であるジェロニモス修道院でもしばしば音楽会が開かれています。又リスボンから約30KM北西へ行ったところにマフラという町があり、そこにも大きな修道院が有ります。この修道院は18世紀の始めにジョアン5世の命令で作られ、修道院と王宮とが併設されているという珍しい建物なのですが、ブラジルでの金鉱開発でポルトガルの財政が大いに潤っていた時代に造られただけに、大変豪華な建物です。そしてその教会には なんとパイプオルガンが6台も設置されているのです。毎月第一日曜日の夜開かれる音楽会では、その中の2台を使って演奏されるパイプオルガンの響きが教会の広い空間を満たし、他で味わう事の無い荘厳な音楽に暫しこうべを垂れる思いを経験しました。
さて音楽会の楽しみ方全体についても、やはり随分違いがあるものだと感じています。日本の音楽会で私が気に入っているのは、演奏が始まる前のあの静寂の瞬間・指揮者と一緒に緊張感を共有しているようなしゞまが有る瞬間を感じます。100メートル競争のスタートをする時のように、感覚が鋭くなるのを感じます。しかしこちらでの音楽会では少し大きな会場になると、今までのどの音楽会でもそのような事はほとんど感じられません。指揮者が身構えても会場には緊張感が走らず、しゞまを持った空間が現れない。一回だけですが、まさにその瞬間に携帯電話のベルが鳴るというひどい事さえ有りました。
一方こちらの素晴らしい事は全体の雰囲気です。通常30分前には沢山の聴衆が既にロビーで団欒を始めています。奇麗に着飾ったご婦人の姿が楽しめるのは勿論の事です。男性の数が女性の数と同じぐらい居て、それも40歳を過ぎた中年・壮年の男性が沢山居るので、一般社会と同じ雰囲気が会場にあります。 日本の音楽会では5分前に慌しく人が集まって来るので、まずこのゆったりとしたロビーで時を過す楽しさが無い。また若い人達そして特に女性が多く、仕事や家庭を背負って働いている男性の姿が少ないので、何か特殊な雰囲気の場になってしまう。好意的に見ればクラシック音楽同好会なのでしょうが、生活の中で音楽を楽しんでいると言うより、特殊な目的を持った人達の集りの場という感じがしてなりません。
こういう事を可能にしている社会の背景が矢張りあるのでしょう。私も夜の11時頃まで常態として残業をしていた時期を経験していますが、日本の多くのビジネスマンにとって音楽会など全く別の世界の話でした。こちらでは多くの音楽会が夜9時開演です。仕事場から家に帰って夕食をとり、身を整えて“さあ音楽会へ”という訳なのでしょう。グルベンキャン・ホールの場合は、会場の地下に広い駐車場が有り、その間は1ユーロで駐車が出来ます。私の場合など、公演が終わり30分後にはもう家でお茶を飲みながら今夜の演奏会の話が出来るほどで、音楽が生活の中に入り込み気軽に楽しむ事が出来ています。
このように市民の生活に密着した音楽会はカスカイス市だけでなく、ベレンの文化センターを始め各地の教会・公民館などで一日にいくつもの催しが有り、如何に自由な時間を持つ身としてもその全部を聴く事などとても出来ない事です。 ( 征 二 )