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ポルトガル便り・8便  ポルトガルでの音楽のたのしみ・ その1

  私達がまだ東京に居て、ポルトガルに住もうかどうかと迷っていた時に、一つ躊躇を感じていた事がありました。「あの国はファドの国だからクラッシック音楽はあまり盛んではないだろう。東京から離れたら淋しい思いをするかも知れないな。」という点です。しかしこの予想は全く当たりませんでした。ファドがどちらかというと観光資源でしかなくなっているように思われます。一方でクラッシック音楽は想像以上に生活の中で生きているようで、音楽に触れる機会がとても多く楽しい毎日を送っています。
  まず第一にラジオですが“アンテナ2“というFM放送局が、24時間ほゞクラッシック音楽だけを流しています。NHK・FM局のように沢山の番組の中にクラッシック音楽も取り入れているのとは異なり、ニュース以外はほとんどが音楽番組。それもたまに昔のジャズやミュージカルなどが流れる程度で、90%以上が所謂クラッシック音楽です。非常に沢山の時間があるので、取り上げる曲の数も多く又範囲も広く、17世紀以前の音楽や20世紀以降の音楽だけについて言えば、私が今迄50年間ぐらいに日本で聞いた曲の量を、もう越えてしまったのではないかと思う程です。よくもまあこんなに豊富な録音ライブラリーが有るものだと感心するのですが、イギリス・ドイツ・イタリーなどの放送局と提携をしているようで、英語・ドイツ語などの解説にオーバーラップして、ポルトガル語の曲目紹介が行われる番組もよく聞かれます。私の経験ではフランスやスペインの音楽はあまり放送されていないように感じられ、これもこの国の歴史を物語るわけなのかなどと思っています。
  さて私が昨年6月にこちらへ引っ越して来て最初の生活基盤作りに走り回る数ヶ月が過ぎ、初めて音楽会に足を運んだのは9月の末。積極的に音楽会に行きだしたのは11月の後半です。それから今年の4月までの約6ヶ月間に聴いた音楽会の数は33回です。毎年2~3回しか聴くことがなかった今までの生活との違いに、我ながら驚いています。

  私が足を運ぶ音楽会をその主催者の種類から分類すると、大きく二つの流れに分ける事が出来ます。その一つは大劇場で開かれる規模の大きな商業的な公演です。先程の33回の中の半分の16回がこの種の音楽会でした。更にこれを細かく言うとグルベンキャン財団が主催する各種の音楽会と、国立サンカルロス劇場が主催する主にオペラの音楽会がその主たるものです。アメリカのカーネギーと同じように、石油取引で大きな財産を蓄えたアルメニア人のカローステ・グルベンキャン氏が作ったグルベンキャン財団が、美術館・音楽ホール更にはプラネタリウム・病院などいろいろな文化活動を行っています。2002年10月から始まり2003年の6月まで続く今回のシーズンでは、83のステージを提供してくれました。(複数回の演奏があるので実際には100回ぐらいの音楽会になり、その他にバレーのステージも有ります。)演奏はグルベンキャン交響楽団など自国の演奏家が中心ですが、ソリストとしては外国人の演奏家も多く大変インターナショナルな構成になっています。たとえば先日私が聴いたフォーレのレクイエムとプーランクのスタバトマーテルの演奏会では、指揮者・オーケストラ・合唱団はポルトガルですが、ソリストはソプラノがスイスからの若手・バリトンがアルゼンチンのベテランの男性、そしてパイプオルガン奏者はブラジルから招かれた人でした。多分音楽会の企画者の中に力のある人が居るのだと思うのですが、まだ有名ではない・しかし優れた実力を持つ演奏家を世界の各地からよくこれだけ集められるものだと感心します。また私達にとって既に馴染みのある演奏家としては、ズッカーマンによるブラームスのバイオリン協奏曲とか、日本の児玉姉妹によるモーツァルトのピアノ協奏曲などを聴く事が出来ました。

国立サンカルロス劇場

    国立サンカルロス劇場で開かれるオペラの方は、2002年10月から2003年の5月迄に、毎月一回8つの出し物で39回のステージがありました。ところが耳なじみなのは椿姫とマノンレスコーぐらいで、他はチャイコフスキーのチャロデイカ、オネッガーの火刑台上のジャンヌダルク、ベルリオーズのロメオとジュリエット、リヒアルト・シュトラウスのナクソス島のアリアドネなど、東京ではあまり見る事が出来ない物ばかりです。しかも一つの演目を四回も五回もやるのだから空席が目立つだろうと思って行くと、どの公演も殆ど満員という驚くような現象です。劇場が小さく恐らく800人位しか入れない事もその理由の一つではあるのでしょう。
  サンカルロス劇場は欧州の一般的なオペラハウスと同じような作りで、平土間に約400の座席が有り、周りは5階までの桟敷席になっています。金色に輝き豪華な雰囲気に満ちていますが、音の響きはあまり良いとは思えません。兎に角あまりポピュラーではない出し物ばかりなのに、いずれもが満員になるとはどういう事なのだと未だに首をかしげています。お客様もペダンテイックな音楽通と思われる人の姿は少なく、暖かい会場の中でもミンクのコートを脱ごうとしない社交大好き婦人の姿も多く、それは華やか・賑やかで楽しい場です。たゞ私達にとって耐え難いのは休憩中にロビーでタバコを吸う人が余りにも多く、私達はそのまゝ座席で過さざるを得ない事です。この国はまだ喫煙者天国のように思えます。
  ところでこの劇場での楽しみの一つにオペラの解説が有ります。幕開きの30分前から、二階にあるサロン・ノーブレ(舞踏会が出来るような広く豪華な貴賓室)で、若く・ハンサムな副指揮者による出し物の解説がなされます。あまり上手とは言えませんが、ピアノ(スタインウエイのフルグランド)を使って聴きどころを説明したり、そのオペラの時代背景を説明してくれる素敵な企画です。日本語で説明してくれたら、さぞ楽しめるだろうなと思います。

終わりに私の感想記の中から、この33回の中で一番心に残っている演奏会の紹介をさせて下さい。

時:2002年12月8日午前・於ベルリンフィル小ホール(ドイツ)
演奏: ベルリンフィル・メンバーによる室内楽
編成: 弦楽五重奏とクラリネット・ファゴット・ホルン
曲目: ブラームス・八重奏のためのソナタ
    Mark-Anthony Turnage・クラリネットと弦楽五重奏の為の“Solitude”
    シューベルト・八重奏曲 D−803

感想
  ホールが素晴らしい。ステージの周りを円形の客席がなだらかなスロープを作って囲んでいる。天井が高く・ステージの遥か上の方に反響板が有り、音が柔らかく伝わって来る。朝11時だと言う事もあって、会場には伸び伸びとした自由な雰囲気が漂っていたように思う。
  ブラームスが一番印象的だった。ブラームスの室内楽曲は耽美的というか、作曲家が自分の世界に浸っていて、聴き手は何か共有出来ない音楽の世界を聴かされているようで余り好きではないのだが、今回はそれはそれで美しいし認められるというか楽しんで聴いた。第一にアンサンブルの密度がとてつもなく高い。瞬時として緩むことのない心地よい緊張感が、我々をブラームスの世界に連れていってくれる。それでいて肩が凝るような不愉快さはなく、音の流れに身を委ねるような楽しさがあった。楽器間のバランスが良くそして音楽の流れが素晴らしい。音色がぎらぎらしていないで、マイルドでいてしかも籠っていない。わざと美しさを表に出さない厭らしさではなく、オーソドックスで余分な派手さが無いので、あのブラームスの耽美的な世界の不愉快さを感じないで楽しんだように思う。そしてテンポやメロデイーの流れが、現代の世界に一致していたように感じた。
  クラリネットと弦楽五重奏の曲は現代の作曲だが、あまり難解ではなくしかし現代の雰囲気を充分に持った曲だった。クラリネットの技術や特性を堪能させてくれたし、曲としても楽しいものだった。高校生の頃に新宿の片隅の名曲喫茶で、このような現代曲を一生懸命聴いた事を思い出しながら、あゝ俺は60歳を過ぎてベルリンで又こんな時間を持っているのだなと一種の感慨を覚えるひと時だった。
  シューベルトの八重奏曲は美しいけれど長すぎる。シューベルトの優柔不断というか決断力の無さなのか、或いは人を楽しませようというサービス精神なのかもしれない。しかし長すぎて退屈した。そしてこの退屈の原因の一つは明らかに演奏の問題だった。前半のステージとは第一バイオリンと第二バイオリンとが入れ替わったのだが、それによって演奏の雰囲気が全く変わってしまった。このステージの第一バイオリンがベルリンフィルのコンサートマスターであり、音も美しく技術的にもレベルが上なのだろうと思うが、音楽のリーダーになろうとしないので音がアンサンブルの中に溶け込んでしまう。シューベルトのメロデイーがいっこうに浮き上がってこず、音楽がいつも団子状態になる。曲の広がりが失われ音が狭い範囲で動きまわっているという印象だ。やはり協調を得意とする人と表に出る人との性格の違いが、こんなにも音楽を変えてしまうのかという事をつくづくと感じた。やはり人は場所を得なくてはいけない。
  ホルンの音が特に良かった。同時に朝のあのゆったりとした時間に美しいハーモニーが漂う空間を感じることの素晴らしさは、長い間会わなかった或いは忘れていた音楽の素晴らしさに、久しぶりに再会したような感じがして本当に嬉しかった。 −続く− ( 征二 )

 
       
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