nitahara gallery

ポルトガル便り・5便  ドイツの冬は寒かった!

  昨年12月にドイツを訪ねる機会がありました。私達がポルトガルに住み始めた目的の一つが欧州のいろいろな所を訪ねてみたいという事ですので、今回はその第一歩です。
  訪ねた所はベルリンとハンブルグ。アロエの花が咲き時には気温15度にもなるポルトガルから飛行機に乗る事4時間ほど、そこは別世界の寒いさむいベルリンでした。日中はマイナス7〜8度。夜中はマイナス17〜18度。空気が針のように顔に突き刺さって来るという感じです。着いて最初にしたことは帽子を買いに行く事でした。デザインうんぬんは二の次。兎に角耳が隠れて暖かければそれで宜しい。厚手の手袋も必需品です。池には氷がはり、子供も大人もスケートをしています。
  ベルリンの或る画廊が主催したクリスマス展に、ドイツ・イタリー・ロシア・ブラジル人と共に日本の画家数名が招かれ、その一人として参加しました。私は白と黒を基調とした抽象画七点を出品したのですが、他の方々の作品とは作風がおのずと異なり、それなりの存在感は有ったと思います。今まで日本では友人・知人が応援の気持ちをこめて絵を買って下さる事で次の個展がどうやら開けるという状態を重ね、ほゞ二年おきに七回の個展を開いてきました。今回は知人の居ないベルリンで、しかも外国人と一緒のグループ展という初めての事なのでどうなるかと思いましたが、刺激される事も多くとても良い経験になりました。

オープニングパーティ

  展覧会は夕方七時のオープニングパーテイーから始まり約一ヶ月間開かれます。(日本では通常一週間単位。)シャンパンとワインで乾杯! 続いて画廊主が作家の紹介を行い、ヴァイオリンのデユエットの演奏へと続き、その後は自由に作品を見て又語り合います。寒い中を沢山の方が集まって下さったのには感激しました。
  私の絵に関しては、その後「次の展覧会を楽しみにしているよ」と言って作品を買って下さったドイツ人の方が数人現れた事は、次の仕事をする上でとても励みになっています。「寒い国に住む人は色彩に憧れを持っています。ドイツの冬景色のような白と黒の世界よりも、春のように美しい色の世界が見てみたいと思っている人も多いのですよ。」という感想を述べて下さる方もいらっしゃいました。短い期間ですが厳しいドイツの冬を体験して、「あゝ。そう言う感じも良く判る!」と実感しました。今年の七月には同じ画廊で今度は個展を開かせて頂くので、いろいろと感じた事をその時までに良く消化して臨みたいと今準備を始めています。
  自然条件が厳しい時だっただけに特に感じたのかもしれませんが、ドイツ人とポルトガル人の生き方の違いを垣間見たように思います。ポルトガル人は何事に対してもおゝらかでのんびりとしていて、人に対してすれていないと言うか暖かい気持ちで接してくれます。老人や身体の不自由な人が街を歩いていて、その人に手助けが必要だと思うとどんどん声を掛け又手を出してゆきます。一寸お節介だと思われそうな行為が自然に行われ、受ける方もゆったりと受け止め、なごやかで暖かい雰囲気がたっぷりあります。孫とお年寄りが仲良く手をつないで散歩している姿も良く見かけ、そこには今の日本が失いつゝあるやすらぎと温もりを感じ、ほっとさせられる光景です。たゞその分自分にも甘くなっている所があるようです。たとえば約束の時間を守る人が少ないようで、先頃日本へ帰国された方は「14年間の滞在中に約束の時間をきちっと守った人はたった三人だった。」と言っておられました。家に招かれた時にも遅れて行くのがポルトガルのマナーだと聞いた事もあります。
  ベルリンでは街中がせわしなく急いで動いています。交差点の信号も非常に早く変わるので横断歩道を歩くのも必死です。私達が一生懸命歩いても三車線の道の真中までしか行けず中央分離帯の小さな島に取り残されると、その脇を大変なスピードで自動車が通り過ぎて行きます。規則の範囲ですから文句の言いようもありませんが、信号の無い横断歩道を人が渡る姿を見ると必ず止まってくれるポルトガルの自動車が懐かしく思い出され、同時に身体が不自由な方はベルリンのあの交差点をどうやって渡れば良いのだろうと今も考えこんでいます。
  こういう話をして下さった方もいます。ベルリンではアパートに住むお年寄りには次第に一階上の部屋に移り住んで貰う。年をとるにつれだんだん高い階に住む事になる訳ですが、階段の上がり下りが一人では出来なくなったら、ケア付きの施設か病院に入る。これも自分の事はあくまで自分でやる。それが出来ないなら病人なのだという考えなのだそうです。「それでは姥捨て山じゃないの」と言いますと、その人は「そうだ。」と言いきりました。一方ドイツのデユッセルドルフに長く住んだ事の有る人にこの話をしたら、そんな話は聞いた事が無いと言います。日本でもそうですが、ドイツでも地方により又階層によっても風俗や生き方が異なるのでしょうが、私には有りそうな話だと思えました。

ベルリンフィルの会場

  滞在中にベルリンフィルを聴く機会が三度有りました。ズビンメータの指揮でリヒアルトシュトラウスのドンキホーテが演奏されたときの出来事です。当日はマチネーでもあり子供連れの姿もちらほらと見かけました。私達の隣にもあまり若くない夫婦と6歳位の女の子が座りました。子供には難しい曲なので彼女は退屈してしまい親の気を引く為にか、やたらと咳をするのには困りました。母親はそれに対して何も働きかけをしません。すると休憩時間に年配の紳士が通路から大分中まで入ったその両親の席までやって来て、何やら強い調子で話をして又遠く離れた自分の席に戻ってゆきました。丁度先生が生徒を叱りつけているような雰囲気で、その間両親は一言も発しません。その女の子が泣き出し、うしろの席の女性が飴をあげて宥めたりしました。そして後半のステージでは女の子の咳はピタリと止み、私達はミシャマイスキーの演奏でドボルザークのチェロ協奏曲をゆったりと楽しむ事が出来ました。
  今は見るもの・聞くものすべてに“ポルトガルへ来て良かった良かった“と浮かれている私には、今回のドイツ訪問はかなりのカルチャーショックを与えてくたようです。ドイツ人は自分を厳しく律して生きている分他人にも厳しく求めるように感じられ、思わず背筋をピンと伸ばして周囲を見回してしまいました。私にとっては自己責任という言葉が強く胸に響く町がベルリンとなりました。 ( 孝江 )

 
       
MENU