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ポルトガル便り 第47便 真夏に冬の旅


 今年の夏は、とても忙しく過ぎてゆきます。子供達が日本から遊びに来てくれるという事もありますが、「冬の旅」の練習をしているというのが、大きな要因です。真青な空と強い太陽の光の下で「冬の旅」というのも奇妙な取り合わせですが、実はこの曲を私が歌う小さな音楽会を密かに計画しており、今はその練習に余念がないというわけなのです。


 フランツ シューベルトという作曲家をご存じだと思います。子守歌や野バラなどの歌、そして未完成交響曲などが、よく知られていますね。けれども、そのシューベルトが過激思想の疑いで逮捕され、警察に連行された事をご存じの方は少ないと思います。


 フランツが大人になって音楽を中心とした生活をしている時に、彼を愛する沢山の仲間が協力して、いろん形で彼を助けてくれました。そしてシューベルティアーデという名前の集まりが出来、フランツの演奏を楽しみ、共に人生を語り合う若者の集団となりました。


 この仲間の一人にヨハン ミハエル ゼンという学生がいて、過激思想の持ち主として当局から睨まれていたようです。そしてシューベルトがゼンの家を訪ね、二人で話しこんでいる所に警察に踏み込まれ、二人とも引っ張られたという事です。シューベルトはすぐに釈放されたけれど、ゼンの方は14カ月間拘留された後に、国外に永久追放され二度とウイーンには戻れませんでした。


 ご存じのようにフランス革命が起こったのは1789年で、シューベルトが生まれたのは1797年、31歳の若さで亡くなったのが1828年の事ですから、欧州の社会がフランス革命を機に近代へと大きく舵を切ってゆく時代を、彼は生きた事になります。

 
シューベルトの肖像画

フランスではルイ王政を倒して市民が自分達の手に実権を握る戦いを続け、ナポレオンボナパルトの登場など、社会が大きく揺れ動いていました。一方シューベルトとそして詩人のウイルヘルム ミュラーが活躍したウイーンの町は、まだハプスブルグ家が支配する古い体制の神聖ローマ帝国でした。フランスなどの新しいうねりがこの国に及ばないように、皇帝側があらゆる手を尽くした事もまた当然だと思われます。


 当時のウイーンでは出版物などの検閲が厳しく、王政の批判やキリスト教の批判は勿論、その臭いのする動きは厳しく追及され、また秘密警察も大きく活躍して体制を支えていました。一方では古い時代の名残りとして華やかな舞踏会が繰り広げられ、他方では新しい時代が忍び寄る空気の中で、シューベルトは短い生涯を過ごしたわけです。


 歌曲集「冬の旅」は、どうしても社会に馴染めず受け入れられない、今の言葉で言えば“社会から疎外された青年”が、恋にも破れ町を離れ、暗く冷たい冬を旅するという主題を持った24曲の歌集です。シューベルトのもう一つの歌集“美しき水車小屋の娘”が、一連のお話として出来ているのと異なり、“冬の旅”は丁度24枚の絵があるように、同じ主題のもとで独立した場面を歌っています。


 その第1曲“おやすみ (Gute Nachat)”の冒頭の言葉“fremd(よそよそしい・異質な・他所者の)”が、主人公である若者の立場・心情をはっきり表現していると思います。


 そして第5曲が有名な“菩提樹”です。「嬉しい時も悲しい時も、あの菩提樹の下で、僕は夢を見た。」と青年は語ります。しかし旅に出て、夜その木の傍を通りかかった時に、枝がざわめき「そこのお若いの、私の所においで。ここには永久の憩いが有るよ。」と囁きかけるのです。早い話が「私の枝にぶら下がれば、もう苦しい冬の旅を続けなくて済むよ。」という誘惑です。青年は必死になってその樹の脇を通り過ぎ、もう遠い所まで来ているのに、未だにあの枝のざわめき・永久の憩いへの誘いが耳に残っているのです。幸福に満ちた喜びの歌だと信じていたのに、とんでもない誤解でした。


 また、第22曲“勇気”では、「若しこの世に神が居ないなら、私達自身が神になってやろう」というフレーズもあります。この時代に、このミュラーの詩が厳しい検閲を良く潜り抜け、又シューベルトも良く勇気を持って作曲したものだと、驚くばかりです。


 「冬の旅」では主人公の若者が、暗く冷たい冬を旅して行きます。同時に彼を取り囲む社会もそして彼の心の中も、暗く冷たいという状況を歌っています。それは社会への不信・不条理を見つめる感覚・神の否定。そして自分の死を見詰め、絶望と諦めを抱き旅を続けるのです。音楽的にも当時まだ誰も使わなかった和音の進行や、一般的には20世紀になってやっと出てきた無調性の音楽が顔を出したりして、これが200年も前の時代(日本では江戸時代の後期)の人の感覚なのかと驚くばかりです。


 私が初めて「冬の旅」を聞いたのは、浪人生として受験勉強をしていた時、ラジオの深夜放送でした。勿論当時の私には、これが「冬の旅」という曲集だという知識もなく、ただ疲れを休める為に耳を傾けていたのですが、自然に涙が出て来て、そのうちにどうしても涙が止まらなくなった事を良く覚えています。春の試験が近くなり追い詰められた若者にとって、孤独と不安に満ちたこの曲には心に強く響くものが有ったのだと思います。


 長々と「冬の旅」の事を書きましたが、この真夏の太陽がいっぱいのアルガルベで、私は暗く冷たい世界を心に描きながら、この「冬の旅」を歌って練習しています。

アルガルベの夏

 高校生の時に合唱クラブに入り、それ以来ずっと合唱団の中で歌ってきましたので、人と声を合わせて歌う事はそれなりに経験を積んできたつもりです。けれども一人で歌うとなると話は全く別です。まして「冬の旅」は、私ごときが登頂を試みるべき山ではなさそうですが、長い間その世界と付き合い、「冬の旅」の青年を愛し・一緒に歩いてきた者として、人生の最後に試みるべきはこれしか無いという心境です。


  2012年のいつの日かに、私の「冬の旅(抜粋)」を聞いて頂く機会を作りたいと願って、今このアルガルベの夏を練習にいそしんでいます。
【 2011年 8月 】征 二

 
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