ポルトガル便り・第43 面白かった出来事
ポルトガルに滞在した8年の間には楽しい経験が沢山ありましたが、予想もしなかった出来事も、これも沢山起こりました。その中でも“如何にもポルトガルらしい”と思える出来事をいくつかご紹介します。
その1:玄関の鍵
ある朝起床し・顔を洗い、いつもと同じように近所のパン屋にパンを買いに行こうとしました。毎朝焼きたてのパンが食べられるのが、ポルトガル生活の一つの魅力です。ところが、いつも扉の内側から錠を差して戸締りをしているキーが、今朝は玄関の錠に差されていない。
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忘れたままの鍵 |
キーを持って出ないと戻った時に家に入れないので、大騒ぎをして探し回ったが何処にも見つからない。ひょっと玄関の扉を開けて表に目を向けると、なんとキーが外から差しこまれそこに有るではありませんか。という事は昨日の午後・買い物から戻り扉を開けた時から、ずうっと其処に置きっ放しになっていたという事です。
正直に言って、ぞっとしました。よく物忘れをするようになったとは認めますが、こんなミスをするとは思いもかけぬ事。情けないと思うと同時に、昨日の午後から一晩16時間ぐらいの間、よくもまあキーが無事でいてくれたと感謝です。この家は道路に面していて、車もかなり通るし人通りも決して少なくありません。誰も気付かなかったのか、気がついても無視して通り過ぎたのかは判りませんが、幸運だけではないでしょう。此処にはまだまだ安全がある。この地域に住んでいる事の有難さを、つくづく感じました。[実はもう一回同じ誤りをしてしまいました。その時は近所に住む親しいおばさんが、ドアをノックして「キーを忘れているよ。」と教えてくれたのです。困った事です。]
その2:古い冷蔵庫
これは2005年、パレージのアパートに住んでいた時の出来事です。3月の1ヶ月を日本に一時帰国して、4月の初めにポルトガルに戻りました。アパートに到着しエレベーターで5階に上がったところ、物が腐ったような酷い臭いがする。
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私達が住んだアパート |
一つの階には2軒しか住んでいないので、“これはお隣でよほど大変な料理でもしているのかな”と考えながら、玄関の扉を開け家の中に入ったら、嫌な臭いが一層強くなった。上か下の家からの臭いかなと思いながら臭いの出所を調べると、なんとそれは我が家の冷蔵庫から出てくる臭いでした。たしかに味付け干ぴょうなどの貴重な日本食を、冷蔵庫の中の冷凍ボックスに残して日本へ向け出発したのですが、まさかこんな事になろうとは思いません。大急ぎでごみの処理をして、ご近所に謝って回ったのは言うまでも無いこと。調べてみると原因は冷蔵庫のサーモスタットが働かなくなり、電気が切れた状態が続いてしまった事でした。
この家は家具付きの条件で借りています。大家さん家族が以前はここに住んでいたのですが、子供が大きくなったからと一軒家に転出し、その後を私達が借りている訳です。仲々合理的な考えの持ち主で、家具の殆どは彼等が使用していた物で、冷蔵庫もその一つでした。要するに古くて耐用年数切れだったようです。冷蔵庫の取り換えをお願いしたところ、まずは修理をして持ってきました。数日使ってはみましたが、臭いが酷くてたまらない。「臭いが抜けないから取り換えて欲しい。」と依頼したところ、気持ちよく応じてくれた迄は良かったのですが、代わりに持ってきた冷蔵庫が又も中古品だったのには驚きました。ポルトガル人が古い物を捨てず、最後まで使う心を持っている事は、これ以外にも沢山経験しましたが、この大家さんの合理性は特別際立ったものがあり、今でも記憶に残る思い出です。
その3: パンクの経験
ポルトガル滞在も3年目に入り、少し自信が出来始めた頃の出来事です。日本からポルトガルを訪ねてくれた旧友・田中さんご夫妻とドライブをした時の事です。或るドライブインで一休み。一時間ほどして戻ると、タイヤの空気が抜けてパンク状態です。この車に乗って初めての経験でしたが、友人の手も借りて予備タイヤとの交換を試みました。しかしタイヤを固定するネジがどうしても上手く締まらず、不安で出発できません。(あとで判った事ですが、スペアタイヤ用のネジは長さが異なっていたのに、それを知らず今迄と同じネジを使っていたのですから締まらなくて当然でした。)止むを得ず保険会社に電話をしてレッカー車を頼みました。待つこと一時間で修理屋兼運送屋のおじさんが到着。
すぐに運んでくれると思ったら、タイヤの状態を調べ・修理を始めました。待つこと更に一時間。いよいよ日の落ちる頃になって、結局古いタイヤに空気を入れ直しリスボンまで帰るのが一番だという結論になりました。私達の不安を察し、途中にある高速道路のガソリンスタンドまで同行し、再度空気圧を調べ大丈夫だとの判断までしてくれました。
彼としては私達の車をレッカー車に乗せて修理工場に放り込めば、保険会社からお金が出るのに、そうはしなかった。この近所の修理屋に入れられては遠くに住む私達が困るだろうと、こちらの都合を最大限に考え対応してくれたのでしょう。その結果、数時間に亘る彼の作業は、全部無料奉仕になってしまったのです。人が善いというのか、なんとも優しさのあるおじさんでした。以後このサービスステーションを通るたびに、パイプを咥えながら一生懸命修理をしてくれた彼の姿を思い出します。 この他にも市場に財布を忘れた話(33便)やガソリンに水が混入していて車が動かず、本当にレッカー車のお世話になった事など、沢山の経験をしました。然しろくに言葉も出来ぬのに、どうにか8年の滞在を無事終れるのは、なんと言っても善意の人達に囲まれて過ごせたからに尽きると思います。ポルトガルの第一印象である“暖かい心”は、最後まで私達を取り囲み支援してくれました。“心からの感謝!”です。 【 2010年 7月・ 征 二 】