ポルトガル便り 第38便 ポルトガルでの個展
9月5日から10月10日まで、ロゥレー市で私の個展が行われます。ロゥレー市は、私達が住むオリャウンから車で30分程の所です。
オープニングパーティーが展覧会の幕開けです。5日の午後7時からパーティーが始まります。同時刻にポルトガル対デンマークのサッカーの試合があります。この対決に負けると、ポルトガルはワールドカップへの出場が絶望的になる大切な試合です。最悪の条件でのパーティーになりました。ロゥレー市の人も「悪い日に当たった。何人の人が集まるか判らない」と心配していましたが、沢山の人達が来てくれました。(市は80人の出席と言っていますが、一寸水増しに思います。)
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パーティの途中では、夫の合唱団の仲間(ドイツ人3名)がリコーダーの合奏をしてくれました。ヘンデルなどの18世紀の音楽が柔らかいリコーダーの音に乗って修道院の回廊に響き、とても優雅な時間です。そして和気あいあいとした会が夜遅くまで続きました。
会場はGaleria de Arte Convento de Espì rito Santo(聖霊修道院アートギャラリー)という由緒のある名前です。 昔は修道院だったところを市が買い上げ、市役所・大学そしてギャラリーにしています。諸々の市の企画の展覧会を行う場所です。(エスピリトサントという名前の大手の銀行もあり、
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ロザリオさんと |
今回の個展もロゥレー市の企画ですので、案内状・絵の運搬・保険・飾りつけ・オープニングパーティーなど、総べてが市の負担で行われました。私は自分が選んだ絵を一枚進呈するだけで良いのです。会期中の受付も絵の管理も、会場側でやってくれます。作者はオープニングパーティーに参加するだけで、後は会場に詰めなくても良いので、とても楽です。会期は1ヶ月が単位のようです。(今年参加した3つのグループ展も全部そうでした。)
去年このギャラリーを訪ねた時に、ロゥレー市民でなくても展覧会を開ける事を知り、ベルリンでの個展の時の作品集・他の作品をおさめたCD、そして最近の作品の写真などを持って、申し込みのプレゼンテーションを
行いました。私の絵を気に入ってくれて、早い段階でOKが出たのですが、契約書を交わしたのは展覧会の2ヵ月半前です。それまでの間は、準備を進めているものゝ、本当に開けるのかな(?)と、ときどき不安にもなりました。今回の展覧会が開けたのは、決断して下さった責任者のロザリオさんのお陰です。ロザリオさんに感謝、感謝!
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鏡獅子 |
私はロゥレー市の市民でもありませんし、ましてや日本人です。ポルトガル国に所得税を納めていない私がこんな恩恵を受けてよいのだろうか・・・。なんとか良い展覧会にしたい・感謝の気持を表わしたいと考え、4部屋のうちの1部屋で日本の伝
統芸能の一部を紹介する事にしました。日本のこと、ましてやその芸能について全然知らない人達に、歌舞伎・文楽・能とはどんなものなのか、その片鱗でも知って貰いたいと夫が作った解説文も部屋に置きました。
会場には水彩連盟展に出品した絵を中心に、大きな作品11点を含む32点を展示しました。広い空間の中で沢山の自分の作品を一同に観る機会は有りませんので、感慨もひとしおです。ロザリオさんを始め市の関係者が良い展覧会になったと喜んでくれましたし、来訪者の人達にも好評なので安心しました。
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鏡獅子 |
熱心に絵を観てくださる人の中に、20歳前後の若者が居ました。彼は“アレンテージョ”の絵を見て、「僕の中のアレンテージョは、降りそそぐ太陽なのに、どうして黒で描いたのですか?」との質問を受けました。「広がりを出したかった。太陽が沈んだあとの静けさ・残光を描きたかったの。」と答えました。そこでハタと感じたのですが、人生これからの若者と、たそがれ時を迎えた私とでは、同じ自然を見ても心を動かされるものが違うのだという事に思い到りました。彼は日本の芸能の部屋も興味深く観て、鏡獅子などについての質問を受けました。彼に「貴方の好きな絵の前で写真を撮りましょう。」と言ったところ、“アレンテージョ”を選びました。彼の友人たちと一緒にパチリ。嬉しく楽しく若さを頂いたひと時です。
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アレンテージョの絵の前で |
沢山の人達に絵を観て頂く機会に恵まれ、ポルトガルでの大きな大きな記念の出来事になりました。日本の友人達からも、日本の伝統芸能についてのアドバイスや資料提供、そして沢山の励ましを頂きました。陰で支えてくれた夫にも感謝の気持で一杯です。
皆様、有難うございました。
【2009年 9月 ・孝江】