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ポルトガル便り・29便  地中海クルーズ

 私達のポルトガル滞在も6年目に入り、そろそろ日本への帰国も視野に入れた生活をしようかと考え始めました。そう考えると、ポルトガルに居る間にどうしても経験したい事がまだまだ沢山残っています。そこでその第一歩として今回は地中海クルージングに参加してきました。
 然し正直に言うと参加しようかどうしようかと、大分長い間逡巡していたテーマなのです。やっと実現できたので今回はその報告です。結果は大満足。お薦め出来ます。
 長い間迷っていた理由は二つあり、その一つは贅沢すぎないかという事です。欧州での私達の今までの旅行は、原則的にケチケチ旅行で、宿泊は二人で50ユーロぐらい。食事も地元の庶民的なお店で食べるというスタイルです。それに較べるとクルージングの費用は随分高いと思われました。〔費用は7泊8日で一人ロ1,300。但し食事・飲み物付で、ショーなど船上の施設の利用もすべて含まれる。又マドリッド〜アテネとヴェネチア〜マドリッドとの間の飛行機賃も含まれた値段です。〕
 又ダンスはしない。カードも出来ない。社交的な遊びを殆んどしない私達は、船の上で一週間何をするのだろう。本でも沢山持ち込もうか。これが第二の問題でした。
 この旅の企画がスペインの会社なので、集合と解散がマドリッドです。空港で荷物をチェックインすると、その荷物を船の自分の部屋まで運んで手渡してくれる。これは随分楽な事です。帰りも勿論同じ。そして一週間同じ船室が使えるわけで、洋服などの身の回りの整理が一回で済んでしまう。同じホテルに泊まりながら夜寝ている間に移動してくれて、朝になると又違った町を訪ねる事が出来るわけです。旅行の煩雑さはホテル探し・チェックイン・荷物の開梱・そして出発時には又荷物づくり・チェックアウト・忘れ物は本当に無いか? 等など。この作業から開放されたのは実に有り難かった。
 私は日本が第二次世界大戦に敗ける直前の昭和20年(1945年)1月に、満州から船で引き上げてきた経験があります。まだ6歳だったのでそれほど良く覚えている訳ではないのですが、船旅というとこの時のこと、船底の大部屋で雑魚寝をし息苦しく船酔いで大変だったという苦い思い出が、記憶の底から湧き上がってきます。しかし今回は勿論個室で3メートルx6メートルぐらいある、
私達が乗った船・Zenith
ゆったりとした部屋でした。清潔だしシャワーも熱いお湯がふんだんに出て快適です。清掃も私達が居ない間に一日に二回してくれます。
 船の大きさは、長さが207メートル・幅が29メートルそしてフローアが12階まであり、あまり揺れを感じる事もなく 言ってみれば大きな移動するマンションです。部屋数が720室。客の定員が1,440人という大きな船だったので、レストラン・カフェテリア・バー・劇場・カジノなど、なんでも有り。勿論プールもあるし、デッキも広々としている。各種の機械を揃えたスポーツジムも有り、又ダンスや工芸クラフトの教室も開かれていました。毎晩開かれるショーの為にブラジルのダンシングチームが乗っており、午後になると彼らがサンバ・タンゴ・サラサなどを日替わりで教えてくれます。
 そしてそこで働いている人が643人。興味深いのは、この働く人の国籍が34カ国にも亘るという事です。断然多いのがフィリピンで143人。ホンデュラス 110人。そしてインドネシアが62人です。船長は勿論スペイン人。航海士・機関士など船を動かす方の幹部はクロアチア・ユーゴスラビア・ブルガリア・ギリシャなど東ヨーロッパ国籍の人が多い。そして客室やレストラン・ラウンジなどホテル経営の幹部達はフランス・イタリア・ドイツ・ポルトガルなど中央及び西ヨーロッパの人達です。その下で実際に働いている人達が、中米・南米そして東南アジアの人達という構造です。
 私達以外のお客さんはすべて西洋人でした。日本人は勿論・東洋人と思われる姿も見かけません。その為もあってか、東南アジアから働きに来ている人達からは特に親愛の情を示され、毎回のように「マダム。お元気ですか。」などと声をかけられた事も記憶に残ります。
 国籍といえばこの船のお医者さんはスウエーデン出身の女性です。船の5階にホテルの受付のような広いカウンターがあり、その脇に船長を始めとする乗り組み幹部の名前・国籍・写真が貼り出されていました。これも経験とばかり適当な病気をつくり、船の医務室を訪ねてみました。客室は4階以上に有るのですが医務室は3階の隅にあり、スペイン人と思われる大柄で姿勢の良い看護婦さんが出迎えてくれました。まず名前・症状などを記入すると同時に“船上の緊急治療なので、処置の内容には文句を言わない事”といった趣旨の書類に署名させられ、その後形どおり体温・脈拍・血圧などの測定です。そしてドトーラ(お医者様)による診断を受け薬を頂きました。5階にある写真は金髪の素敵な女性だったのですが、実際の先生は長航海の為か大分疲れた感じのご婦人で、旅の楽しい思い出の一頁という訳にはゆきませんでした。

アシスタント氏と
 船の上の出来事を少しお話しましょう。まず食事です。美味しかった。一週間3食全部船上で食べましたが飽きませんでした。
 船には正式なレストランとビュッフェスタイルの食堂兼カフェテリアの2ヶ所があり、両方とも朝・昼・夜と三食を供してくれます。どちらに入ろうと全く自由だし、料金はいずれもツアー代に込みですから総べて無料。飲み物もワインは勿論、ウイスキー・ブランデー・シャンパンなど何でも注文できます。特に上等なもの・たとえば20年物のスコッチなどを注文すればエキストラ料金を請求

されますが、私のレベルが普通に飲むアルコールは無料でした。食べる物も柔らかい味付けで帝国ホテルのレストランにも負けないほど美味しく、量も私達には丁度適当。ワインでほろ酔いになり、一寸したお金持ちになったような気分を味あわせてくれます。
 レストランの方は夜は座席が決まっています。最初の夜だけはフリーシッティングでしたが、他の日は毎回同じテーブルに座り同じウエイター二人が付いてくれます。私達に付いてくれたのはチーフが背は低くやゝ口が重いホンデュラス出身、アシスタントは背が高く押し出しが良くコロンビア出身でした。二人共良く働き気持ちの良い人達で、食事が楽しかった大きな要因になっています。勿論彼らはちゃんとしたユニフォーム姿なのですが、たとえばチーフはネクタイを してアシスタントはネクタイ無しなど、違いをはっきりさせています。お客様の注文は必ずチーフが取るし料理をテーブルに出すのもチーフの役目で、アシスタントは専らテーブルの片付けと調理場との間の運搬役です。デザートとコーヒーそして飲み物に限っては、アシスタントも給仕する事が認められているようです。私達を受け持ってくれた二人が担当するテーブルは二つだけだったので充分に余裕があり、いろいろと気配りのあるサービスをしてくれました。    
 彼らの胸にある名札には国旗が貼ってあり、人によっては5ヶも6ヶも付いていました。旗は自分が出来る言葉の種類を表しているのです。僕たちのチーフさんは旗一つ。スペイン語が中心で片言の英語です。アシスタント氏はスペイン語も英語も堪能で又話好きだったので、座持ちの会話は専らアシスタント氏になり、チーフはやゝ影の薄い存在に成りがちでした。アシスタント氏は船に乗ってまだ1ヶ月。

チーフ氏とフィリピンからのマリアンヌさん

契約は6ヶ月なので、あと5ヶ月は家族に会えないのだと、この時ばかりはやゝ寂しそうでした。一週間ごとに客は替わるけれど航路は同じ所を往復し毎日3食を給仕するわけで、結構ハードな仕事と思えましたが、どのウエイターも明るく・常に楽しげに対応してくれて、プロとしての教育が行き届いている事に感心しました。
 さてお客様の方ですが、実に賑やかでしたね。プルマンツールという名のスペインの旅行社が企画・運営しているツアーなので、お客の殆んどがスペイン人なのでしょう。会話がスペイン語で活気がありました。年代も実年というか、50代・60代が大半でしたが、中には幼児や赤ちゃんを連れた若夫婦、独身青年男女のグループ旅行と思われる人達も居ました。お尻周りが私の2倍はあろうかと思われるおば様と妊婦顔負けのビール腹(実際はワイン腹でしょう)のおじ様とが、その典型的な姿だと想像して頂ければ、まず雰囲気はお判りになると思います。
 夜の食事では一応衣服の指定があり、船長主催のパーティーが有る金曜日の夜はガラ(Gala)。男性はスーツ・ネクタイの着用、女性はフォーマルドレスです。火曜日はカウボーイ(ジーンズなどで良い)・木曜日はトロピカルで、その他の日はインフォーマル でした。
 女性の皆さんにとっては毎夜違う服装で現れるのが楽しみなようで、私達男性の目も楽しませてくれました。ガラの日は特に最上のおしゃれをして、気持ちも晴れやかになっているようです。そのガラの夜の事ですが、どう見ても70歳代の白髪のおば様が、中学生のお嬢さんも顔負けの“提灯袖でヒラヒラの付いた・朱に近い赤のドレス”で現れたのがとても印象的。日本人には中々出来ないと思われる装いですが、ご当人は極めて楽しそうで“念願の服を着て素敵なレストランで食事を楽しんでいます”といった感じでした。
 ガラの日も楽しい雰囲気でしたが、なんと言ってもトロピカルの日が一番の盛り上がり。男性はそれぞれに派手なシャツを着るという程度でしたが、おば様方は“待っていました”とばかり、それぞれにレイを首に巻いたり露出度の多い思いきりトロピカルな装いで現れました。私達とは一つ置いた隣のテーブルに居た10人ほどのグループが特別賑やかで、声高々に話し笑うだけでなく、とうとうワインの一気飲みを始めてしまいました。一人がワインをグラスに満たすと周りの人達がはやし歌を始める。そして最後に“リンパ! リンパ!”の大合唱です。(limpar(動)奇麗にする。清潔にする。転じて「飲み干す」) 日本の若者の「一気! 一気!」と全く同じなのですが、そのあとに続く嬌声がおば様特有の力強さで、甲高い声有り・だみ声ありでこれには参りました。周囲には明らかに眉をひそめているスペイン人も居ましたが、我れ関せずと最後まで元気な人達でした。
 さて肝心のクルージングの中味となる訪問先の事ですが、残念ながらこれは感心するほどの内容ではありません。クルージングの旅は大流行だとみえ、どの港にも大型観光船が何艘も停泊しています。寄港先でのツアーは大集団の移動となり、当然ですが手作りツアーの楽しさは味わえず、ただ行ったというだけになってしまいました。大型船なので必ずしも港に直接着けない時もあるし、寄港先の時間の過ごし方の研究が次の課題です。 まずクルージングの航路ですが:

10月1日(月)夕方に乗船。夜10時にアテネの港を出航です。
   2日(火)サントリーニ島に朝8時に到着・ 夕方6時に出航
   3日(水)ローデス島に朝8時に到着・   夕方7時に出航
   4日(木)ミコノス島に朝7時に到着・   夕方5時半に出航
5日(金)一日中船上です。幸い天気も良く楽しい一日でした。
6日(土)ドブロブニック(クロアチア)に朝8時入港・夕方4時出航
7日(日)ヴェネツィアに午前11時30分到着。一日をそこで過ごす。
8日(月)午前中はフリータイム。午後2時30分に集合して離船。

最初の3日間はエーゲ海の出口・ギリシャ本国の鼻先にある島巡りで、日中はそれぞれに個別のツアーが企画されました。私達もそのツアーに参加したのですが、スペイン語以外の人が殆んど居ない為、説明はスペイン語のみ。大変苦労しました。(というより殆んど判らなかった。)
サントリーニ島
 訪れた島の中ではサントリーニ島が一番印象が深く楽しめました。この島は三日月型をした小さな島で(直径という表現が許されれば3KMぐらい)、いまだに活火山帯なのだ そうです。紀元前1,500年ごろに地球史上でも最大級の大噴火が続き、島の多くの部分が吹き飛んでしまい海となった。エーゲ海のポンペイとも呼ばれているのですが、当時最高度の文明を誇っていた町が長い間火山灰の下に埋もれていたのですが、最近になり発掘が進み当時の文化度の高さに注目が集っています。海抜300メートルの山の上に白い建物で出来た小さな街があり、あのギリシャ正教特有の礼拝堂が、青い空と海を背に実に美しく見えました。残念ながらもう10月だったので太陽の光もやゝ弱まっていましたが、8月に此処を訪ねたら“これぞ地中海!”と感激すること請負です。岩だけで砂が無い為に海の透明度が高く、その青さも特別です。
しかし住むのは山の上に限られ、風は強く水は乏しく雨も殆んど降らない。
産業があるわけではなし(ぶどうの木を見ましたが殆んど手入れをされておらず、悲しくなるような姿だった)、ここで生きる事はさぞかし大変だろうとつくづく感じた次第です。
 ローデス島は全くの期待はずれ。以前塩野七生の著書でヴェネチアとトルコとの間のローデス島を巡る壮烈な戦いを読んだので、とても期待していただけに残念でした。 由緒あるグランドマスターの宮殿も第一次大戦後に新しく修復したもので、形は整っているが往時を偲ばせる雰囲気が全く無かった。唯一つ心を惹かれたのは、町の外に有るスミス山のアポロン神殿の遺跡だった。静かな空間に浮かぶ神殿の柱は、その昔を心に描きたくなる魅力を持っていました。
 このクルーズのハイライトはヴェネチアの都に海側から近づく30分間だったと思います。船の高さがあるので眺望が良く、遠くにヴェネチアが見え出してから段々に大きくなり、あの水路を通って埠頭に横付けになるまでの景色は素晴らしいもので、胸がわくわくと踊る経験です。
船から見たヴェネチアの町
尤も船を下りて訪ねた私達にとっては二度目のヴェネチアの町は、今の私には一寸精彩を欠いた存在のように映りました。
 ヴェネチアの街も建物が随分傷んでいて、センターを一寸離れれた所では廃屋になっている家も結構ある。「これではオリャウンとおなじだな。」と言ったら、孝江に「ここは清潔で犬の糞はありませんよ。」と言われた。勿論町の中央の素晴らしさは比較にならないが、そこは又お土産屋のセンターでもあり、街の風格や魅力を下げている所でもある。所詮ヴェネチアはこのように駆け足の団体旅行で行くべき所ではなく、自分達が好きな所を自分のペースで廻らなければ、その良さは感じられない街なのでしょう。
 ゴンドリーナ達はみな凄く格好が良く伊達男ばかりだった。恐らく採用基準も有るのだろう。身長175センチ以上・体重100KG以下ぐらいかな。特に僕達が乗ったゴンドラの漕ぎ手は腕が良く上手だった。僕達が団体旅行だった事も大きな原因なのだろうが、このゴンドリーナ達が全く無愛想だった事は実に残念。狭い水路なので混雑し、前後のゴンドリーナとお喋りばかりして、お客へのサービスは乗り降りの時に手を貸すだけ。後は何も無い。「こんにちは。ようこそ!」も無い。まるで荷物か豚でも乗せているように客は無視されていた。船賃が幾らなのか知らないが、兎に角次々と処理するだけのゴンドラ周遊だった。
ゴンドリーナ
実は前回ヴェネツィアを訪ねた時も雰囲気に好感が持てず乗らなかったけれど、今回は“皆さんが乗るゴンドラ遊びを一回は経験しよう”と選んだが、結果は不合格。ゴンドリーナとしての誇りもある事だろうが、もう少し客を大事にしてくれても良いのにと感じた。
 今回のツアーには、当然な事ですがカルメンさんが沢山いました。あちらでもこちらでも“カルメン!”と呼んでいます。しかし日本語のカルメンは「カ」にアクセントがあるのに、スペインのカルメンは「メン」にアクセントが有る。カルンです。そういえばオペラでホセが歌う愛の告白のアリアも、最後に“カルン。お前を愛しているよ。(Carmen! Je t’aime.) ”と歌っていますね。小さな発見です。
 スペイン人との団体旅行なわけですから、一体どうなるのだろうかと興味津々でもありました。しかし案外よく纏まっていて時間もそこそこ守るし、待たされても静かに待っているのには驚きました。“いつも勝手ばかりするスペイン人”と信じていたのですが、見直しても良いのでしょうか。又クルージングが決してお金持ちだけの楽しみではないという事も判りました。このツアーに参加した人はその殆んどが庶民の人達です。 そして心からこの旅行の毎日を楽しんでいる姿が、とても印象的でした。(2007 Oct ・征二 )

 
       
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