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ポルトガル便り・26便  うなぎの蒲焼

 サラリーマンの頃、私はほとんど台所に入った事が無い。小学生の頃も、お袋に「男の子は台所に来るものではありません。」と言って追いかえされた思い出がある。まさに“君作る人。僕食べる人”を地で行っていたように思う。
 私の友人で退職後に料理に目覚めた人が何人か居る。“あの彼が?”と思うような男が、何年も男の料理教室に通っていたり、蕎麦打ちに凝って玄人はだしになっている人も居る。ポルトガルに住む退職者仲間の中にも、こちらに来る引越し荷物の中に、包丁を7本入れてきた男が居る。長い間暖めていた“料理を作るという夢”をポルトガルで実現させ、時に本格的なフランス料理を作って、私達にご馳走して下さる事がある。
 前述したように、私は食べるほう専門で料理には全く疎いので、このような諸兄のような活躍はとても出来ない。精々食器洗いぐらいしか出来なかったのだが、後片付けだけでは全く面白くない。それで包丁なるものを手にして努力した結果、鯵の干物程度は自分ひとりで出来るようになった。しかしこの程度ではまだ不満だなと思っていたところ、ある日市場で格好の獲物に出くわした。うなぎである。それも生きの良い鰻であった。
 ご存知の通りイベリア半島の人達は、うなぎを食べる。スペインではうなぎの稚魚をオリーブ油で揚げたものが有名だし、ポルトガルではぶつ切りを唐揚げにしたものを良く食べる。従ってあまり大きくないものが好まれる。然し蒲焼のような食べ方はしない。又一般に日本人の奥さん方も、うなぎ料理にまでは手を出さない。よし。これで行こうと決心した。
 早速その市場で生きの良い鰻を3匹買い、ビニールの袋に入れ車に積んで家に帰った。“さー、いよいよ鰻と格闘だ。”と台所で袋を開けたところ、なんと2匹しか居ない。まず最初が、うなぎの逃亡事件である。 金を払った時には、確かにうなぎを3匹袋に入れてくれた。しかしお釣りを貰う一寸の間、売り場の台にその袋を置いたのを覚えている。その後は二重の袋に入れ、密閉されたアイスボックスに入れ移動したのだから、逃げられる筈が無い。矢張りあの市場で逃げられたのかもしれない。
 然しそれからが大変だった。昔、落語で鰻をさばく小話を聞いた覚えがある。人様がやる分にはいくらでも笑えるのだが、自分がやるとなると真剣そのもの。たっぷりと汗をかく話だった。袋に手を入れても、ぬるぬるして上手く掴めず暴れまわるので、ひとまず台所の流し場(シンク)に一匹出してみた。深いから逃げられる心配は無いのだが、どうしても掴まらない。素早く逃げ回るうえに、牙こそ無いようだが口を開けて手向かってくると、正直なところこちらが怯んでしまう。やっと掴まえても目打ちをしようとおたおたしている間に、又逃げられてしまう。こんな事を繰り返し、何とかお腹を開き骨を外して形を整えた頃には、もう夕方になってしまった。
 第一回目は兎に角大変だった。そしてこの話をいろいろな人にしたところ、矢張り知恵の有る人が居るものだ。「それなら冷凍したら良いじゃないか。」と言われた。
 成る程という事で、第二回には買ってきてすぐ冷凍庫に放り込んだ。約20分経って取り出したところ、確かに鰻は冬眠状態である。いとも簡単に目打ちをして、包丁を入れ腹を開き始めた。然しこの頃はまだ慣れておらず段取りが悪く、もたもたしている間に鰻が目を覚まし動き始める。目打ちをして腹を開いているのに結構動きまわるのには驚いた。
 鰻の皮は硬く、包丁を入れる最初の一刺しには初めの頃結構苦労をした。そして次に大変なのは骨外し。何ヶ所かいつも外し難い所があり、今でも苦労している。始めた頃は慣れないだけではなく道具が揃っていない事もあり仲々うまくゆかなかったが、最近は随分と慣れ上達もした。およそ40匹は調理したので習うより慣れろである。串刺し作業などは何故最初はあんなに大変だったのだろうかと不思議に思うほどで、今では鼻歌を歌いながら出来るようになった。特別に技術を習得したとも思えぬのに不思議な事だ。 鰻の捌き方や蒲焼の作り方にもいろいろ流儀があるようだが、私は今、背開きで東京風に、蒸しその後たれをつけて焼いている。 尤も蒸したり焼いたりするのは、未だに女房の仕事になっている。又鰻の大きさも、味に色々影響してくる事が判ってきた。700g以上は大味であまり美味しくない。250g以下は、肉が薄く手間ばかり掛かってしまう。400〜500g位が一番適当なのだが、仲々こういう大きさで生きの良い鰻というのが手に入らない。勿論、たれは日本で買ってくる。一時帰国した時に老舗のお店にゆき本物を楽しむと同時に、たれも分けて貰う。
 こういう話をしたら、友人が専用の包丁を日本から送ってきてくれたりして、道具も大分揃ってきた。こちらでは日本人の仲間に供し喜んでもらったりするのだが、残念なのは日本に帰っても皆さんにこの技術を披露できそうもない事だ。そちらで生きの良い鰻が手に入る市場など、ご存知の方はいらっしゃいませんか?2007年 2月 ( 征二 )

 
       
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