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ポルトガル便り・22便  ショパンコンクール

 ショパンコンクールを聴きにポーランドへ行ってきました。長い間、私はピアノの音楽に興味がなく、良いなと思って聞き出したのは最近のこと。この十年ぐらいの事かもしれません。
 私がピアノを好きになれなかった理由は、多分ピアノにも音色があるという事が判らなかったからだと思います。中学生時代の私にとって、ピアノは音楽の時間に先生が授業に使う道具であり、10本の指を巧みに動かす事が出来る不思議な人だけが使う機械でありました。鍵盤を叩くとポーンと音がして、それで楽譜に書いてある音の高さを知る事が出来、私達が新しい曲を覚え授業が成り立っていたという訳です。メロディが弾け音色が美しいヴァイオリンや歌には惹かれるものがありましたが、ピアノによる音楽には全く関心がありませんでした。最近になってピアノ曲も聞くようになり、同じピアノでも弾く人によって音色も違うし演奏の仕方も違うのだという事が判ってきましたが、ショパンコンクールを聞きにわざわざ会場に足を運ぶようになるとは、我ながら驚きであります。
 ショパンコンクールは1927年に始まり変遷を経て、現在は5年毎に開かれ、今年が第15回という事です。過去の優勝者・入賞者の多くが音楽の世界で活躍している事から、このコンクールで実績を作る事が一流と認められる為のパスポートのようにも受取られています。又「世の中にはショパン
ヴィラヌフ宮殿の公園にあるショパンの像
を弾くピアニストと弾かないピアニストがいる」と言われるほど、ショパンの音楽はピアニストに個性を要求しているようです。マラソンランナーと100メートル走のランナーとでは、必要とされる能力がまるで異なるのと似たところ が有るかもしれませんね。
 さて前置きはこれぐらいにして、実際に聞きに行っての感想をお話しましょう。 第一に驚いた事は、ポーランドの人達がショパンコンクールに殆んど関心を持っていないという事です。私のポーランドについての知識といえば、ショパンとキューリー夫人位でしかないので、ショパンはポーランドが世界に誇る偉人であり、今年のポーランドはショパンコンクールで湧いているに違いないと考えていましたが、それは全くの誤解でありました。誰もが知っているという思い込みがあった為に、会場の場所を地図で確かめる事もせず、ホテルの受付嬢の言うことをそのまゝ信じ込んで出発したのが、そもそもの間違いでした。受付嬢は、公園にあるショパン像のそばに建物があり、そこが会場だと説明してくれたのですが、それは全くの誤りでした。止むを得ず会場の住所まで書いてある入場券を見せ、地元に住んでいて英語がわかりそうな人に聞き歩きました。その中にはタクシーの運転手さん2人・デパートの受付・他のホテルの受付を含め全部で7人の人に聞きました。ショパンコンクールと言っても誰も判らず、ホールの名前と住所から辛うじて場所が判った人が3人だけという有り様です。会場の雰囲気が知りたくて2時間前にホテルを出発していたので遅刻せずに済みましたが、演奏会場に足を踏み込んだ時には伴奏のオーケストラの人達はもう着席済みで、指揮者・ソリストの登場を待っているタイミングです。後で判った事ですが、会場はタクシーに乗ればホテルから10分で着いてしまう距離に有りました。本当に冷や汗ものです。
 そして第二番目に驚いた事は、参加者・入賞者の構成です。今回のコンクールには世界中から約300人の参加者があり(日本からは約90人)、数回の審査を経て本選に進めた人は12人だけです。そしてその12人は、ポーランドから2人・ロシア1人・日系のアメリカ人が1人、その他は日本から4人・韓国3人・香港が1人と圧倒的にアジアからのピアニストによって占められていました。更にこの人達が本選でオーケストラの伴奏でショパンの協奏曲を弾いた結果、優勝者こそポーランド出身のブレハッチが選ばれましたが、他の5人の入賞者は韓国2人(しかも兄弟)・日本から2人・香港から1人とアジアからの 参加者ばかりです。日本の国技である相撲が外人力士に席捲されているのと同じ現象です。
 ポーランドで開かれるショパンコンクールがアジア大会かと思わせるような様相を示した事には、どんな原因・背景があるのでしょうか。簡単に分析できる事ではありませんが、大きな要因として挙げられる事に、欧州の若者のクラシック音楽離れがある事は否定できないと思います。音楽の才能がある若者であってもクラシック音楽の世界に入る人が少なくなっているに違い有りません。後を追っている日本やアジアの国々でもその傾向が見られます。このまゝでは50年後のクラシック音楽がどんな立場にあるのだろうかと考えると、暗然たる気持になりました。
 第三番目の感想は「世界に誇るショパンコンクールとはこの程度の音楽なのか」という、やゝ拍子抜けの気持です。オボーリン(1927年)・ポリーニ(1960)・アルゲリッチ(1965)・ブーニン(1985)等など、ビッグネームが綺羅星の如く並ぶショパンコンクールの入賞者達ですが、私が今回聞いた範囲では(本選の最終日と入賞者演奏会の2回だけですから、充分に聞いた上での発言とは言えませんが)、今回は天才的と言えるようなピアニストは見当たらなかったと思います。入賞者の人達の年齢が20歳から25歳である事を考えると、彼等が本当に音楽的・説得的な演奏をするであろう40歳ぐらいになる間の研鑚が問われるのであって、入賞という結果は一流の証明ではなく、将来一流になれる可能性が認められたに過ぎないのだと思われました。

 さて優勝したラファウ ブレハッチ(Rafal Blechacz)は20歳のポーランド人ですから、会場のポーランド人は大喜び・大拍手でした。ポーランド人が優勝するのは30年ぶりの事だったそうです。私達が聞いた範囲でも実際頭一つ抜きん出ているというか、6人の中では文句なしのNO1だったと思います。音も良く響き・音楽のスケールも大きく・落ち着いた演奏態度と同じように演奏にも落ち着きがあり、品格も感じられるものでした。しかしあまりにもオーソドックスな演奏なので、「20歳という年齢でこれほどに伝統的な演奏をして君は本当に満足しているのかい」と逆に聞きたくなる程でした。こういう人は40歳になる迄の20年間をどういう過ごし方をするのだろうかと、余計な心配をしたほどです。
 第2位が無く第3位になったのが韓国からの兄弟Dong Min Lim(25歳)とDong Hyek Lim(21歳)でした。弟のHyek Limは今年の夏ポルトガルで開かれたシントラ音楽祭にも参加してくれたのですが、その時は体調が不十分だったのか 或いは会場の雰囲気に馴染めなかったのか(コンサートホールではなく、風の音・水のせゝらぎ・鳥の声までもが聞こえる美しい庭園に作られたステージだったのです)、ポルトガルでの演奏は芳しいものではありませんでした。しかし今回入賞者演奏会で聞かせてくれたバラード(op23)は素晴らしい出来で、若者らしく生き生きとした魅力のあるショパンでした。一方兄のMin Limは本選での演奏・ピアノ協奏曲1番がとても個性的な音楽 (ショパンではなくジャズを聞いているのではないかと感じる瞬間が有ったほどです) だったので期待していたのですが、疲れが出たのか入賞者演奏会では魂が充分に入っていないような演奏で不満が残るものでした。
 4位になったのは日本人2人・関本昌平(20歳)と山本貴志(22歳)でした。関本君は、剛速球・ストレート勝負という演奏(スケルツオop31)がとても魅力的でした。やゝ単調で陰影に乏しいきらいは有りましたが、将来の発展が期待されます。6人の中ではただ一人カワイのピアノを使っていましたが、楽器で大分損をしたなとも思われました。もう一人の山本君は美しく良くまとまった音楽(スケルツオop39)でしたが、まだ教えられて弾いているという感じがあり、大人の音楽になるには時間がかゝりそうです。
 話は戻りますが最終審査はショパンのピアノ協奏曲(1番か2番のいずれかを選んで演奏する)で行われたのですが、この時のオーケストラの演奏にも少々驚かされました。出だしの音を聞いて、中学生時代に聞いたSPレコードの世界を思い出した程です。鮮明さや輝きに乏しく、良く言えば柔らかい・厳しく言えばぼけた音です。指揮者の音楽も現代風のテンポ(たとえばチョン ミョンフンのような)とは異なり、リタルダンドなどもたっぷりとしたもので、だんだんに古い伝統的なショパンの世界へ連れて行ってくれる。そんな感じでした。そして本選最終12番目に登場したブレハッチの演奏の時にだけコンサートマスターが交替し、貫禄充分の女性ヴァイオリニストとなり、今までのコンマスは第二列に下がって弾いていました。今までの男性が淡々と指示された通りに弾いているといった感じだったのに対し、このおばさんは非常に気持を込めて弾いており、弦全体がやゝ輝きを増し生き生きとした印象を与えてくれました。ブレハッチの演奏が群を抜いていたので結果に文句はありませんが、演奏条件が変る事には不満を覚えました。

 ショパンコンクールの入場券は入手する事が大変困難なのですが、中学時代の親友のご子息・畠山弘さんがポーランドで働いていらっしゃる事から、今回・旧友夫妻とのこの旅が実現しました。此処に記してお礼申し上げます。 ( 2005年10月・ 征二 )

 
       
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