ポルトガル便り・21便 アベイロの塩
リスボンから北へ車で4時間位走るとアベイロと言う町があります。 ポルトガルのベニスとも呼ばれている所です。運河があり、カラフルに彩られた小船・モリセイロ(ゴンドラの小型)が浮かんでいます。列車のアベイロ駅の壁にある絵タイルは、人々の暮らしなどを描いた伝統工芸品です。 2003年10月に行った時にはプラットホームの絵タイルの前に長椅子が置かれ、その周りで電車を待つ人々の生活が垣間見られ、とても感動を覚えたものです。2004年6月に欧州サッカー選手権大会がアベイロでも開かれた関係もあって、この駅も改造されました。ホームが一段高くなり又長く伸ばされ、長椅子も取り払われてしまいました。私達がポルトガルへ来て3年・EUに加盟した事も手伝って段々経済発展をし、町も機能的に変ってきています。アベイロの駅も便利になったのでしょうが、絵タイルを背景に長椅子の前で繰り広げられる生活風景を感じる事はもう出来なくなりました。こうしてのどかなポルトガルの良さも段々に変ってゆくのでしょう。
この町で有名な物に塩があります。塩田を利用した昔ながらの製法で作る塩で、雨の降らない期間しか生産できないと聞いています。夏場に行けば沢山の塩の山が見られるに違いないと8月に出かけてみました。リスボン近郊ではアベイロで取れた塩を手に入れる事が出来ませんので、美味しい塩を買おうと思ったのです。まず町の人に「アベイロで取れた塩は何処で売っていますか?」と聞いたところ、教えてくれた店は私達の家の近くにも有るピンゴドーセという名の食料品のスーパーでした。そこで売っている塩は私達の町で買える塩と同じ。しかたなく今度は観光案内所で聞いてみました。そこでも良く判らず、塩の見本として置いてある 250gで2.5ユーロの小袋に書いてある製造元の住所を地図で教えてくれました。かなり遠そう・・・・。この町で取れた塩ならもっと近くでも売っているに違いないと、休憩の為に入った食堂のウエイターさんに聞いてみました。するとレジ係りのおばさんが早口で一生懸命教えてくれるのですが、私の語学力ではさっぱり判らず、「一寸待って。夫と替わるから」と早々に夫が座っている席まで駆け戻り選手交代。賑やかにやりとりしている姿を見かねたのか親切な女性が、「塩のお店の途中まで連れて行ってあげよう。」と申し出てくれました。女友達三人でお茶を飲んでいたようです。名前はクロテイルダさん。
彼女の話によると「私の父は4月から9月の雨が降り出す前まで塩を作っています。70歳を過ぎているので若い人二人に手伝って貰って仕事を続けているが、塩の値段も安いしろく な賃金も払えない状態です。昔は運河の向こうは塩の山だらけだったけれど、今はアベイロで塩を作っているのはたった6人だけ。重労働だし父の代でこの仕事は終わる事になると思う。」という事でした。クロテイルダさんと別れて、塩の袋詰をしている倉庫のようなお店へ行きました。業務用の大きな袋が山積みされています。一袋が25KG入りで、価格を聞くとこれが3ユーロなのです。労働の大変さを聞いた直後だけに気の毒で、思わず2袋(50KG)を買ってしまいました。(どうする。この大量の塩を・・・・。)此の店の社長のネーベスさんは先程のクロテイルダさんの従兄弟だということでした。アベイロの塩だけでは仕事にならないらしく、その倉庫にはフランスから輸入したという塩も置いて有りました。
さてこのアベイロの塩。写真にもあるように白い奇麗な塩の山だと見えたのですが、実際は一寸グレーがかっていて、塩田から採れたてそのまゝの物でした。藁も入っていれば小さな貝も入っています。時には砂をジャリっと感じる事もあります。味は最高に良いのですが安心して食べる事が出来ません。そこで我が家では、この塩で作った塩水を濾過紙でこし、魚の干物に使います。魚の新鮮さも加わって、それはそれは美味しい干物が出来上がります。又飽和状態にした塩水を今度はコーヒー用の濾過紙でこし、これを煮詰め白い奇麗な塩にして、最後に電子レンジで水分を飛ばします。サラサラになった塩を素焼きの容器に入れて使っています。手間は掛かりますが重労働の上に手間ひまかけて塩を作っている人の事を考えれば、何んて事はありません。採れたてそのまゝの塩を知人にも配りましたが、まだまだ沢山残っています。欲しい方には差し上げたいのですが、日本へ送るには塩の値段の何十倍もの送料がかかるので・・・・。 (2005年 8月 ・ 孝江 )