ポルトガル便り・20便 外国住まいの面白さ
最初の便りにも書きましたが、私達がポルトガルに住み始めたのも“偶々こうなった”とも言うべきで、殆んど無計画での始まりです。どういう住み方・どういう生活をするかといった事を殆んど考えずに、「仕事にどっぷり漬かっていた毎日だったから、退職を機会に今迄とは違った環境に飛び込んでみようか。どんな生活になるのか、これも面白かろう。」「ひとまず行ってみよう。行ってそれから考え、うまく行かなかったら帰ってこよう。三年ほど住んでみて、その後の事はその時に又考えよう。」こんな調子で始まったポルトガルでの生活も2年10ヶ月が過ぎ、三年が目の前にやってきました。
今のところ、日本へ帰ろうという考えは殆んど浮かんできません。為替変動の影響が大きく想像していたよりもお金がかゝり、年金だけを頼りにする生活は成り立ち難くなっていますが、それを上回る楽しさ・快適さが見つかりました。季候が温暖なこと・治安が比較的良いことなどがその前提になっていますが、特に食べ物が美味しい事・住んでいる人が親切な事がこの快適さを支えていてくれます。便り・第一便にも書きましたが、新鮮な鯛・すゞき・ヒラメなどの魚を一匹その姿・形のまゝ買ってきて、自分達で料理して食べる。刺身にしろ・塩焼きにしろ本当に美味しくて、切り身しか買わなかった私達の日本での生活では考えられない楽しさです。
表題に“面白さ”とは書きましたが、やゝ痩せ我慢的な発言でもあり、実際には結構辛い事も沢山有ります。その第一は言葉に苦労する事です。ポルトガル語の電話がかゝって来る事は、未だに嫌な事の筆頭です。間違い電話だと判ってほっとする等という生活を続けています。買い物に行っても、3(tres・トレース)と13(treze・トレーゼ)の区別がつかず、お金を出しすぎて笑われるなどもしばしば有る事です。
こちらに来て良く聞く失敗談に、“アパートの鍵を持たずに外に出て、そのまゝ玄関の扉を閉じて締め出された。”というのが有ります。そんな馬鹿な事をこの俺がするはずがないと笑っていたのですが、自分がその笑われる立場になってしまいました。
ポルトガルに住み始めて10ヵ月目の或る日、ブーニンがショパンを弾く音楽会がリスボンで開かれるという事です。早めに夕食を済ませました。当然ワインも入って良い気持ちになり、“さあ出発”と玄関の扉を閉めた時に、一瞬何か理由の判らない不安が胸をかすめました。後から考えると“さあ、ブーニンのピアノが聞けるぞ”という期待感にほろ酔い気分が拍車をかけて、普段の動作手順とは違った事をしてしまったようです。それが無意識のうちに頭に働きかけて、不安の影となって胸をよぎったのだと思われます。悪い時には悪い事が重なるもので、妻も“今日はおしゃれの日”と決め込んで、いつもとは違うハンドバッグを持ち出した為に、この日に限って鍵を持っていない。さあ大変。ついに俺達も同じ事をやってしまった!
一瞬このまゝ放り出して音楽会に行こうかとも考えましたが矢張りそうもゆかず、まずは同じ階の隣人の扉を叩きました。身振りをまじえ事情を説明し、隣りの家に入れてもらいました。その家のベランダから我が家のベランダへ乗り移れないかと考えたわけです。沢山並んでいる鉢植えを奥さんに片付けて貰い、重くなった身体を励まして何とか手摺の上に乗ってはみましたが、危なくてとても試せるものではありません。私達の家は七階建てのアパートの三階なのですが、日本風に数えると四階、しかもアパートが傾斜地に建っているのでベランダ側は五階に相当します。手摺に乗って身を乗り出そうとした時は本当怖かった。それでは鍵屋さんに走ろうと考えたのですが、間の悪い事にその日は日曜日。街中のお店は全部閉まっています。(余談ですがこの事が有ってから、13日の日曜日というのが我が家の鬼門の日となりました。)隣の奥さんに相談す ると「こういう時には消防署に行くのが良い。連れていってあげよう。」と言って下さり、彼女が運転する車に乗り込む事になりました。
消防署に着き事務所で事情を説明し(殆んどは隣りの奥さんがして下さった)、先方の書類に住所・氏名などの記入を終わり、さて出動してくれるのかなと思った時に言われた事は、「貴方はこの消防署の会員ですか?」との質問です。“おいおい、消防署の会員にならないと助けて貰えないのかい”とむっとしましたが、そうではありませんでした。ずっと後になってから判った事ですが、消防署は同時にその地域のスポーツ・文化活動の拠点にもなっているのです。大概の消防署は体育館とか小ホールとかの施設を持っていて、エアロビ・合気道・合唱などの活動をしています。そしてその会員になると、この日のような特別な活動についても費用の10%を割り引いて貰えるという事でした。その次に彼等がした事は警察への連絡です。消防署の人でも矢張り個人の家に入るには、警察の立会いが必要になるとの事でした。
アパートに戻りじりじりした気持ちで待つ事暫し、ベランダの下に梯子車が到着し、更に立会いの警察官が二人揃うと、するすると梯子が伸び我が家のベランダに届きました。当然ながらご近所の方や通りすがりの人が立ち止まり、小さな人垣も出来ました。その時、私達がこのアパートの重鎮と呼んでいる一寸気難しそうなおじさんが、つかつかと私に近寄ってきて、「何が起こったんだ。」と聞きます。私が事情を説明すると、にやっと笑って言いました。「気にする事はないぞ。俺も同じ事を二回もやったから。」消防員が家の内側から玄関の扉を開けてくれて、あっけなく問題解決です。消防署の請求書の75ユーロを支払うと同時に、チップも当然必要です。彼等はニコッとして受け取りましたが、警察官は「私達には必要ないよ。」と言って受取ろうとしません。このあたりは東南アジアの国に住むのとは違うところですね。
その後アパートの住人と行き交う時に、「鍵ね。私も3回やったのよ。」とか「俺もやったんだよ。」とか声をかけてくれ、私達を取り巻く雰囲気は俄然良くなりました。毎日会った時に交わす「こんにちは。元気ですか。」という言葉に、親しみの籠った笑顔が付け加わったように思います。失敗も悪い面ばかりではなく、良い側面も持っているものですね。失敗を見られた事で“こいつも同類だ”と思われ、言葉の不自由な外人も晴れてアパートの仲間に加えられたようです。 2005年 5月 征二