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ポルトガル便り・16便  EURO2004余話

  6月12日に始まったEURO2004(欧州サッカー選手権大会)も、昨夜7月4日に終了しました。実に素晴らしいゲームの連続で、毎夕テレビを見るのが楽しみでした。ゲームの展開が早くそしてエキサイテイング。各チームが独特の試合展開の仕方を持っているのですが、対戦相手が変わると全く異なった局面が出てくる。予想通りの展開であっても、予想と異なった方向に試合が進んでも、心が躍るような場面が多く、期待で胸がわくわくする毎日でした。
ジョゼ・アルバラーデ・スタジアム
  2002年に日本でサッカーの世界選手権大会が開かれた時に、「世界選手権よりも欧州選手権の方がずっと面白いぞ。」と言う人が居て大いに反発しましたが、これで良く判りました。EUROの大会は本当に面白い。興奮しました。この面白さ・楽しさは何なのかと考えた私なりの結論は、まず各チームの技術水準がとても高い。その上サッカーのやり方に国としての個性を持っている。この点が大きいと思います。今回は予選リーグを勝ち抜いてきた15チームと、開催国の特典により予選無しで参加したポルトガルの合計16チームが、23日間に31試合を行いましたが、いずれ劣らぬ強豪チームで息もつかせぬ試合の連続でした。そして結果はご存知の通り、誰一人として予想もしなかったギリシャが優勝する事で閉幕となりました。ポルトガルはオープニングゲームとそして優勝戦という輝かしいゲームで、何故二回もギリシャに負けると言う悲しい役割を演じてしまったのでしょうか。   
  私は心の問題が大きいと考えています。開幕戦でのポルトガルの選手達は身体が全く動かず、見たこともないような弱々しい戦いぶりでした。黄金世代と呼ばれ花道を飾るはずのベテラン選手には自国での開幕戦という事が強い心理的重圧になったようで、借りてきた猫達のゲームのようになってしまいました。プレッシャーに弱い国民性は日本と同じなのだと、世界選手権初戦の日本チームの鈍い動きを思い出しました。しかしその後メンバーを若手に切り替え、ロシアを始めとする強敵を相手に勝ち進み決勝戦に駒を進めた時には、まさか同じギリシャチームに又負けるなど全く思いもしなかった事です。
  決勝戦でポルトガルが負けたのは大事にゆきすぎた事。得意の攻撃でがんがんゆかず、決して点を取られる事がないよう慎重にバランスをとりながら攻めた事にあったと思います。準々決勝でイギリスがポルトガルに負けたのは、試合開始直後に1点を先取し早々に守りに入った為だったし、準決勝でオランダがポルトガルに負けたのも、攻撃力のあるポルトガルに対して前半を0対0で折り返したいと考え、守りに重点を置いた。その為にオランダ得意の全員攻撃をやめ、バックスは自陣に残り敵陣には攻め込まなかった為に攻撃に厚みが出来なかった事にあると思います。攻撃型のチームが自分達の得意の形を捨て・守りを固めようとすると、戦術だけでなく気持ちまでもが守りに入り足が止まり、後から「さあ攻撃だ!」と切り替えようとしても、生身の人間はそうは問屋が卸さない結果になるようです。イギリス戦・オランダ戦で勝たせて貰った相手と同じ事をして見事に負けたポルトガル。勝った試合から教訓を得るのはとても難しい事なのでしょう。特に初戦で負けた理由が、開始早々に自陣で不用意なパスを奪われての失点だっただけに、慎重にゲームを始めようとしたのは「前回の失敗は繰り返さないぞ!」という監督を始め全員の気持ちだったのでしょう。残念なことにその慎重さが尾を引き、最後まで攻撃の形が作れない結果となってしまいました。
  それにしてもベストフォアの顔ぶれが、チェコ・ギリシャ・オランダそしてポルトガルになった時には、地元の観光関係の人はさぞ驚き又落胆したことでしょう。EURO2004では、応援のお客さんが地元に沢山のお金を落とす筈だったのに、懐が豊かだとは言えないチェコとギリシャ。財布の紐が固い事で有名なオランダ人。そして観光客にはなりえないポルトガルでは、当て込んだ経済効果は激減です。豊かな中央ヨーロッパの国々は何故勝ち残ってくれないのだと、さぞ恨めしく思ったことでしょう。
スウェーデンのサポーターと
  今回の大会の中から私が選んだベストゲームは1次リーグのドイツ・オランダ戦。ワーストゲームはブルガリア対スエーデン戦でした。ドイツとオランダ。そして同じDグループで戦ったチェコの3チームは、いずれもフィジカルに強く・よく走り・球も回ってスピード感が楽しめました。その中でも上記の試合が、胸をわくわくドキドキさせてくれたという意味ではベストだったと思います。ブルガリア対スウェーデン戦は私達がスタジアムに足を運び、生で観戦した唯一の試合です。100ユーロ(約14,000円)も払ったのに座席はスタンドの一番上の席で、選手の動きが遠くに見え、背番号の確認も楽ではない程です。隣には遥々シドニーからの親子ずれが座り、お互いに驚きと不満をぶつけあいました。そして試合の結果はブルガリアが0対5の記録的大敗です。彼らにとって不幸だったのは、最初に取られた1点はオフサイドだった可能性が高い事です。しかしゲームである以上これは止むを得ぬこと。そして3点を取られたところでブルガリアは戦意喪失し、一方のスエーデンは安全圏に入ったので攻めようとせず、ゲームの緊張感が一挙に失われ消化試合の雰囲気になりました。私達は試合終了まで15分を残して席を立ったほどです。国の名誉をかけて戦う晴れの舞台でなんたる事か。「恥を知れ。ブルガリアのイレブンよ!」という気持ちでした。
  この期間中ポルトガルの町に国旗が満ち溢れていたのは勿論の事です。国旗を掲げて走る車・赤と緑の国旗の色で出来たTシャツを得意げに着る人・アパートに並ぶ旗の波。勿論私達もテラスにポルトガルの国旗を飾りました。赤は独立の戦いの為に流された血を、そして緑は大地の草原と将来への希望を象徴するものだそうです。そして国歌も「独立を勝ちとり大海原を開拓した偉大な民族」と歌うのですが、一番の盛り上がり部分では「武器をとって立ち上がれ!」といった調子となり、勇ましくサッカーの試合では元気が出るのでしょうが、国歌としてはいささか時代錯誤の印象を否めない内容の歌詞です。どこの国にとっても時代の変遷と国歌との関係は難しいのかもしれませんね。 (征 二)

  欧州選手権では街も大変な賑わいでした。ポルトガルが勝った時には、その瞬間にクラクションを「ブーブコ・ブーブコ・ブッブッブー!」といった調子で鳴らし続けながら車が行きかい、車の中からも・道路を走り回っている若者もお互いにポルトガルの旗を振り回し大声を出して気勢をあげています。夜中の2時過ぎまでこの調子が続きます。私達も眠れたものではありません。住宅地でこの調子ですからリスボンの町は大変な事だったでしょう。テレビでは顔をグリーンと赤に塗り分け、国旗をデザインしたTシャツを着た老若男女が、声高らかに(テレビに写る嬉しさも手伝って)はしゃぎまわる姿が延々と中継されています。一方負けた日にはまるでお通夜のようにシーンと静まり返り、そのギャップの大きい事・・・。
  二年前のワールドカップでブラジルが優勝した時に、丁度私達はカスカイスの駅前を車で走っていたのですが、グリーンと黄色に顔を塗り分けたり・ブラジル国旗調の布を纏ったりした若者達が道路一杯に走り回り、止まっているバスの中まで入りこんで運転手や乗客と握手して回っています。車は完全にストップ。祝いの為のクラクションは鳴りっぱなしです。渋滞に巻き込まれている車の人達もニコニコ顔で、親指を上に向け「オッチモ(最高)!」と言って若者と握手をしたり大騒ぎでした。自分の国が勝ったわけでもないのにお祭ムードです。(ブラジルが元植民地だったという事と、ポルトガルの若者達が外国に出稼ぎに行き、国内の労働力の不足分をアフリカ・ブラジルなどの人達がこの国に来て、働き穴埋めしている事も関係しているのでしょう。)
  その時の事を思い出し、今回ポルトガルが優勝したらどんな騒ぎになる事か? その時は私達も街に繰り出して一緒に大騒ぎしようと手ぐすね引いて待っていたのですが、結果は0:1。完全にポルトガルの負けで終わってしまいました。我が町もシーンと嘆きムード一色です。
  私が通っている体操教室でも決勝戦の前はサッカーの話題でもちきり。「私の夫は用事もないのに部屋を出たり入ったりして、まともにテレビを見ていられないのよ。」「本当にね。はらはらドキドキして見ていられないわね。心臓に悪い!」と賑やかでしたが、負けた直後の教室では友達たちはサッカーの話題に触れようとしません。「決勝戦で負けたとはいえ欧州選手権で二位になったことは素晴らしい事なのだし、ポルトガルにとっては初めての事でしょう。もっと祝ってあげましょうよ。」と大声で言ってあげたいところですが、私の語学力ではそれもまゝならず。何も言えないで黙っている事しか出来ない私でした。 (孝 江)

 
       
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