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ポルトガル便り・11便  ドイツとイタリアでのオペラ見聞記

  前便に続きこの夏の旅行記をお送りします。今年の夏は日本でも異常気象となり、梅雨が長引き太陽を見ない事の多い冷夏だったように伺いますが、私達にとっては7月にドイツそして8月にはイタリアでオペラを見るという、実に豪華な夏になりました。最近続いている円安ユーロ高の為替レートの結果、円建で計算するとこちらでの生活費が、滞在を決めた頃に較べ30%以上高くなってしまった為、日頃はひっそりと鳴りを潜めて生活をしている私達も、この期間だけは精一杯豪華な雰囲気に浸り、欧州文化の粋を楽しむ日々を送ったという訳です。 この期間に通った音楽会は次の通りです。

1.聖歌隊とパイプオルガンの夕べ(ベルリン大聖堂)
2.オペラ「椿姫」(バイエルン州立歌劇場)
3.ヴォルフガング・サバリッシュの夕べ(州立交響楽団とルネ・フレミングの ソプラノ独唱)
4.オペラ「タンホイザー」(バイエルン州立歌劇場)
5.モーツアルトの室内楽(クビリエ宮殿)
6.オペラ「バラの騎士」(バイエルン州立歌劇場)
7.オペラ「ナブッコ」(ヴェローナ野外劇場)
8. 〃 「カルメン」(   〃     )
9. 〃 「リゴレット」(  〃     )
10.〃 「アイーダ」(   〃     )
11.弦楽合奏・ビバルデイなど(サンヴィデル教会・ヴェネツイア)

  予想した事ではありますが、ミュンヘンオペラフェステイバルは華やかな催しでした。冬のベルリンでの音楽会はやゝ固い生真面目な場でしたが、同じドイツでも南のバイエルン州の首都ミュンヘンで夏に開かれるこのオペラの夕べは、開演前から着飾った沢山の人達が劇場の前に集まり、おしゃべりをする時間から始まります。面白いのはこのように着飾った多くの人が会場への往復に市電や地下鉄を使って来る事です。音楽会の券を持っていると同時に電車やバスが無料になる事が影響するのかもしれません。又駐車場のスペースが充分ではないのかもしれません。いずれにしろドレスアップした人があらゆる方向から劇場に向かって歩いて来るというのも何か楽しさを増す光景でした。
  ドイツで見た三つのオペラはそれぞれに特徴があり、いずれも楽しいものでした。

椿姫・
  指揮者と演出とが特に良かったと思います。舞台の雰囲気によく合ったゆったりとしたテンポの音楽がしみじみと心に溶け込んできたし、舞台の色の使い方が美しく又ヴィオレッタが息を引きとった後、光の中を天国に向かって駆け抜けて行く演出も、斬新でかつ素直に受け止められ、楽しい思いが出来ました。照明の効果が印象的で、間接照明を多く使って美しさや舞台の奥行きを感じさせてくれたし、舞台を去った後での人の動きをその影で暗示するなど、思わず唸るようなところがありました。

タンホイザー・
  ワーグナーのオペラのスケールの大きさをつくづく感じました。舞台を広く使い、歌手が朗々と歌い、オーケストラも交響曲を演奏するような編成でたっぷりと重厚な演奏を聞かせてくれました。私が驚いたのは領主役のバス歌手・クルトモル(Kurt Moll)です。領主に相応しい立派な体格と朗々たる歌いぶりは存在感の有る充実した舞台でした。1938年生まれ・65歳にしてこの歌いぶりは、同い年の私にとってもとても刺激になる素晴らしい演奏でした。また特に印象に残ったのは脇役の充実ぶりと合唱です。脇役のどの人をとっても立派な声と容姿を持っていて、これがワーグナーの舞台なのだとつくづく感じさせられました。又合唱の美しさとその響きの豊かな事はやはり特筆されるべきもので、オペラ全体を盛り上げ楽しいものにしてくれました。日頃「俺だって若いときから本格的な音楽教育を受けていれば・・・・」などと思っていましたが、この合唱を聞くと、若し音楽の道を志したとしても合唱団員にさえなれなかったのだと思えてきます。どの道を選んでも本物になる事が如何に大変な事なのかと思い知らされたという訳です。
  
一方ヴェローナ(イタリア北部でミラノとヴェネツィアの間にある町)でのオペラは 2万人収容すると言われる野外劇場で行われるという事もあって、とても開放的で楽しくウキウキするような催しです。日頃は恐らく人も少なく古く静かな田舎町といった風情のこの町も、この時ばかりは人の波が押し寄せ騒がしく又華やかな2ヶ月間となります。
 



















 とても意外に感じた事は、歌手の声が広い野外の会場で実に良く響き渡り、4日間 いろいろな席で聴きましたが、いずれの夜も全く違和感無くオペラが楽しめた事です。ア レーナと呼ばれるこの建物は、長径が152メートル・短径が128メートルの楕円形で客席 の高さは30メートルにも及ぶ石の建築物です。休憩時間に舞台の前にあるオーケストラボ ックスの中央から客席を見渡してみましたが、奥行きも拡がりもとても大きく、自分の声 がそこまで届くとはとても思えないスケールです。3時間にも及ぶ間オーケストラと合唱 を背景にして、この会場に声を満たすなどという事がどうして可能になるのか、実に不思 議な起こりえない事のように思えました。しかし現実にはさほど有名な人ばかりでは無く、 私が名前も知らない沢山の歌手が会場に声を満たせて聞かせてくれるアリアは素晴らしい 聞き物です。しかし同時に実力の有る無しが実に歴然とします。声が良く出来ている人は 弱声で歌ってもその響きが確実に伝わって来るのに、発声技術が不十分な人の声はいくら フォルテで歌っても、声の響きが客席まで届かない。残酷なものだとつくづく思いました。
  偶々この夏には火星が1924年以来80年ぶりに地球に大接近したのだそうですが、オペラが始まって1時間ぐらいすると舞台中央の左手の上に火星が現れ、終了する12時過 ぎには舞台の右上でやゝ赤くきらきらと大きく輝いていました。空には降るような満天の 星が輝き、客席では聴衆が持つ蝋燭の灯がゆらゆらとたなびいている中で「花の歌(カル メン。ドンホセ役はマルコベルテイ(Marco Berti)」や「行け我が思いよ、黄金の翼に乗 って。(ナブッコの合唱)」を聞くのは、オペラ劇場という箱に閉じ込められて聞くのとは 全く異なった、自然で伸び伸びとした雰囲気に満ちた楽しい経験です。
  ヴェローナで観た四つのオペラの中ではアイーダとナブッコが断然楽しめました。音 楽と共に舞台の作り方と演出とがその大きな要因になっています。この広い空間の中で演 ずるには、スケールの大きな広がりの有る舞台を持つ出し物が適当で、リゴレットのよう に心理的な要素が大きな比重を占めるオペラは適当ではないようです。カルメンでは舞台 を華やかにする為に両袖で終始フラメンコの踊りを演じてくれましたが、ステージの焦点 がぼけるだけで邪魔な演出だと感じました。馬が一度に何頭も登場するほど広い舞台は、 間口40メートル・奥行き45メートルで更にその奥にある44段の観客席をステージの背景 として使っており、横の広さだけではなく奥行きや更には縦の高さをどう使うかで印象が 大きく異なります。その点アイーダではスフィンクスや王宮など立体的なステージが出来 たのが成功の一つの要因だったと言えましょう。この広い舞台をどうやって埋めるかとい う事は、演出家にとってはチャレンジングな課題であると共に頭の痛いところでしょう。
  ローマ時代に作られたこの野外劇場で行われるオペラは、音楽会というよりは豪華な ナイトショーであり、更に言えば隅田川で花火を見る楽しさに近いように思いました。し かしこのショーは他に比較するものが無いほど豪華で、音楽的な喜びや快感と同時に生き ている楽しさをも満喫させてくれる催しでした。
  音楽も器楽の場合には比較的世界に共通な尺度が有り、インターナショナルになって いると思えますが、オペラはまさに生活そのものを演じているので、民族とかその人達の 生活や歴史とかを強く感じます。そういう意味ではドイツオペラが良いとかイタリアオペ ラが好きだと言っている、我々日本人オペラ愛好家の立場はどうなんだと思わざるをえま せん。100年・200年かかる仕事なのでしょうが、日本人の心や生活を持ったオペラを作り 出してゆくか、或いは我々の生活や考え方・生き方全体を欧米化してしまうという事なの でしょうか。それにしてもあれだけの文化を作り出す背景としての人々の生活や社会の仕 組みを思うと、たとえ欧米化を目指しても実際には似て非なる物であって、現実的では無 いのでしょう。これから日本人はどの方向に進めば良いのかと考えながら、泊まっている ホテルでビールを傾けていました。( 征二 )

 
       
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