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ポルトガル便り・10便  またドイツへ行ってきました。

  またまたドイツ(ベルリン・ミュンヘン)へ行ってきました。今回は私の個展(7月11日〜8月9日)の為のベルリン入りです。冬のベルリンとは異なりアパートの窓には花々が咲き乱れ人々の表情もなごやかで、短い夏をいとおしんでいる感じを受けました。  私が体験した日本とベルリンの個展の開き方を比較してみます。日本で個展を開く時には普通、期間は6日〜7日。オープニングパーテイを開く場合は初日の5時頃から7時頃まで行われ、ただ食べて飲んで自然解散です。また費用は作者の負担となります。ベルリンでは期間は1ヶ月。画廊によっては2ヶ月の所もあります。パーテイは初日前日の夕方7時半から開かれ、まず画廊主が作者の経歴や作品の制作にいたる背景の説明をする事から始まります。続いてヴァイオリンの演奏(ベルリンオペラ付属管弦楽団に所属するピョートル・プリシャジェニク氏によりバッハやバルトークのソナタが演奏された。)と続き、その後シャンパン・ワインを飲みながら作者をまじえ歓談に入り10時半頃自然解散となりました。費用は画廊負担です。

   日本の経験と一番異なるところは、パーテイに参加して下さった人々がほとんど初対面であること。本当に絵を見る事が好きな方々です。専門の絵描きは一人も居ません。私の制作背景を語られた後だけに話がしやすいのか、皆さんがいろいろと話し掛けてくれます。ドイツ人・イタリア人・イギリス人・アフリカ人など、どの人もこの絵を見て自分はどう思ったかを話して下さいます。

   「この絵を見ていると子供の頃水族館へ行った時の事を思い出し、こちらの絵では植物園へ行った時の事を思い出した。今日はとても良い気持ちです。」「白と黒だけで描いているが、絵の中に私はいろいろな色を感じています。」「貴女の絵を見ていて、元気を頂きました。」飾り付けをしている段階で通りがかった近所のドイツ人女性がツカツカと画廊に入ってきて「この絵はとても美しい。私は貴女の絵が好きです。ベルリンに来てくれて有難う。」と声をかけて下さり、握手を求められたのには驚きましたが、これらの人は自分流の物の見方を大切にし、それをしっかりと外に向かって表現する習慣がついている。そこに個の確立という事を考えさせられました。帰る時には一人一人が私と握手をし、又々意見をしっかり述べて出て行かれます。面と向かって悪い事を言う人は少ないと思いますが、「またベルリンに来てね。」「また見せてね。」と力を込めて握手をして下さる人々から私は描く意欲とエネルギーを頂きました。ベルリンに住む人達に好意を持って受け入れて貰え、沢山の励ましの言葉に胸を熱くしたオープニングパーテイでした。
  ベルリンには15日間滞在しましたが、その間一日だけ画廊に詰めただけで「ベルリンをよく知って帰って欲しい。」という画廊主の意見に甘えて、美術館と街とを歩き回りました。旧東ベルリン側にも行ってきました。ベルリンの壁がシュプレー川の対岸2KMにわたって残されています。壁は高く聳え立っているのかと想像していたのですが、高さはせいぜい4メートルぐらいのものでした。1961年8月の東西ベルリンの境界封鎖から1991年秋に壁が取り壊されるまで、このシュプレー川が存在する事すら知らないで成人した東ベルリンの子供達が多く居た事を知り、また旧西ベルリンの川のほとりに「知られざる亡命者の碑」を見つけた時には、この場所でどんなドラマが繰りひろげられた事かと胸が詰まる思いでした。東西のベルリンが一つになったものゝ、問題は山積みされているようです。旧東ベルリンで育った若者を雇用するより、安い賃金で良く働くトルコ人を雇う事を旧西ベルリンの人は好み、就職口がなかなか無いようです。同じドイツ人でありながら、西東を意識しなくなるには後何十年もかかる事でしょう。ハンブルグに住む夫の友人(ドイツ人)にこの話をしますと、「ベルリンは経済的にも大変だよ。東西が一緒になっちゃったから。」と他人事のように言います。
  さてミュンヘンではオペラフェステイバルを見るために一週間滞在しました。こゝではアジアからの人々に多く会いました。東洋人とは判っても国籍が判らず、お互いに目を合わせないようにする為、そこには気まずい沈黙が流れ何とも嫌な雰囲気です。そこで「これではいけない。西洋人にとってアジアは一つ。国籍など関係ない。アジア人同士仲良くしなければ。」と考え、積極的に顔をあわせ・微笑み・会釈をする事にしました。そうすると相手も会釈をし微笑み返してくれます。「お互い人間同士。こうでなくっちゃ。」とこちらの気持ちも明るくなります。
  このオペラに集まる人々は男性はタキシード・女性はイヴニングドレスが圧倒的に多く、ドイツ女性は背が高い事もありその姿を見るだけでも素敵でした。夫曰く。「昔の美人ばかりだな。若い女性がもっと居ると良いのに・・・・。」正装に身を包み市電に乗る多くのミュンヘン人に、ベルリンの人とは異なった明るくきどらず、気さくな人柄を見出し好感を抱きました。そうした人達の中にタキシードとイブニングドレス姿が如何にも板についている東洋人の集団が居ました。お互いに微笑み会釈をして通り過ぎたのですが、休憩時間に先程の集団の中の一人・タキシード姿のAさんが、韓国語で話しかけて下さいました。私が日本人と判り今度は夫を交えて英語での会話が始まりました。なんでもソウルに60人程のオペラ同好会があり、毎月例会を開き誰かが報告をし音楽談義をしている。今回はその中の16人(但し男性は2人だけ。)が旅行をし、イタリアでのオペラ観賞のあとミュンヘンにやって来たのだそうです。彼らとは合計4回顔を会わせる事になりましたが、女性のBさん(4回とも異なったドレスの素敵なファッシヨンでとても美しい人でした。)と私は休憩時間にバイエルン州立劇場を腕を組んで歩くほど親しくなりました。語学コンプレックスの私は、もっと言葉が判ったらどんなに楽しいだろうと残念でなりません。
  その他に日本人で元商社マンのCさんご夫婦(共通の親しい友人が居る事が判りました。奇遇ですね。)・10年間毎年オペラを見に来ているというDさん・海外でオペラを見る事が目的で仕事をしているというEさん。お孫さんの世話をしているので、年に一回娘さんの仕事がお休すみの夏の2週間だけ音楽会めぐりをしているFさんご夫婦など、知り合いになった方から人生を楽しんでいらっしゃる生き方を見せて頂き、とても良い刺激になりました。 ( 孝 江 )

 
       
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